自分への手紙として
「誰にも読まれなくてもいい作文」
という題で、こっそり書いてみるってのは、
どうだろう。
「だれかに見せるために、
見せたいがために、
あるいは、見せざるをえないもの、
仕方のないもの。」
こういうものは、言われなくても
たくさん書かれているし、SNSなどを通じて
だしっぱなしの水道のように流れていく。
ところが、誰にも読まれなくてもよい、
(そして、実際に読ませない)
というつもりになると、
どのくらいの人が書いているのだろう。
きっと、恥ずかしい内容になるだろうから
書くのはよそう、というのが本音じゃないか。
万が一、だれかに見られたらどうする。
それにしても、どうしてだろう。
本当の自分というものを意識すると、
どうしても恥ずかしいものになってしまう。
だから、すぐフタをしてしまいたくなる。
SNSが水道水っていうのも、
なんというか、消毒済みのカルキの匂い
っていうイメージがする。
田舎者が東京の人をみて、
「かっこつけてんなよ」
と、思うように、ぼくもたまにそう思う。
みんなどこかで、守りに入ってんなあ。
*
誰にも読ませるつもりの無い
恥ずかしい作文を、
かつてぼくは書いていた。
高校生から8年間くらい日記のようなものを
ほとんど毎日書いていた。
今は書いていない。面倒くさがって。
本当は書きたい。今はここの作文に
変わってしまったので、毎日でないし
「誰にも見せない」という意味でも
純粋ではない。
ふとした拍子で、読み返してみた。
2004年から2006年までは、縦書きのノートに。
2007年から2012年はpcのメモパッドに。
それが案外おもしろい。
今じぶんが、何を考えているのか、
どう感じているのか、
という現在地をずっと追って書いている。
書かなくなった今、
自分のことがぼんやりとして、
よく分からなくなりそうだ。
かつて書いていたことが、
今になって、とても大切なことだったのだ、
と思えるようになった。
ここでの作文も、もう少し、
だれも読んでいないふりをして
書いてみよう。原点回帰ですな。
2015/07/17