背徳感のなせるわざ
中毒症状というものは、
なにかにつけて現れる。
適度であれば良いものを、
極端に過度になってしまうことで、
別のことに差し支えが出る。
そういうことが、たとえば
スマホのゲームにもある。
元来が一度夢中になると、
抜けだせなくなる性質なので、
僕自身かなり痛い目にあっている。
そのうち背徳感を
感じはじめるようになる。
このままでは大変なことになる。
今すぐやめるんだ!
ほらやめろ!
この!この!
と思いながら、続きをやってしまう。
これがなかなか面白い。
この、どつぼにはまっている自分が
むしろ可笑しくて面白くなってしまう。
*
これは今日のこの作文を
読んでいる人だけに特別で
教えてしまうけど、
人と会っているとき、
殊に打ち合わせのときに、
お手洗いにいくフリをして
こっそりスマホのパズルゲームをする。
ゲームを純粋に楽しむのではない。
ありえない状況で、しかも、
いまこれ絶対やるべきじゃないよね
という環境で、やっている、という
他ならぬ背徳感を楽しんでいる。
なので、ほとんどゲームに
集中できない。
やばーい、なにやってんだろう、
ばかじゃないかしら、と
冷や冷やしている。
席に戻った後、
「前回からの懸念点を改善するのに…」
とか、
難航しているネタの案出しに苦心して
「あなたはどう思う?」
とかなり真面目な話をしている時、
ぼくの目の中では、
パズルゲームのキャラクターたちが
残像として楽しそうに浮かんでいる。
冗談抜きで、がっちり画面を見て
パズルしていると、
顔を上げた後も、残像が
かなりくっきり浮かんでくる。
*
前に、オードリーの若林と
バナナマンの設楽と、
星野源が鼎談していて
「お茶している時に、なんの脈絡もなく
突然、相手に水をぶっかけたくなる
衝動ってあるよね」
という話をしていたが、
なんか分かる気がする。
真剣な話をしているときに、
まったくどうでもいいゲームの
キャラクターが、相手の顔に残像すると
なんかそういう衝動を
ちょっと解消できたような気がする。
(でもちゃんと話は聞いてます)
2015/01/11