絵の記録としての価値について
昔の生活を知るのに、
絵画を参照することがある。
江戸時代の絵巻物に描かれてる
人々の暮らしの様子をみて、
昔はこんな生活をしていたんだな
と想像したり。
突拍子もない話だけど
都市伝説的な話で
古代エジプトにある石碑に
ヘリコプターや潜水艦のような
乗り物が彫られていたり
したんだって。
こういうものを見て、
一部の人は、かつて超古代文明が
あったのだ、と思ったりするらしい。
それはそれで楽しいなと思う。
けれど、描かれたものすべてを、
むやみに本当だと思い込むのも
怪しいと思う。
*
へんな例えだけど、
ホラー映画「リング」の映像が、
たとえば1000年後の未来に
発見されたとする。
それをみた未来人は、おののくだろう。
かつての日本には、
こんな恐ろしい魔法のような呪いが
あったのだ…
というより、こんな呪いを作りうる
なにかしらの「技術」があったのだ、
と思うかもしれない。
*
スターウォーズだって、
その頃からすでに宇宙戦争が
あったのか、と思うかもしれない。
*
バカげているけれど、
これはフィクションです、という
文脈があるかないかを見極めるのは、
難しい場合もあるのではないか。
*
昔のものでも、
鳥獣戯画や、地獄絵図なんかは、
さすがに想像上のものだと
考えてさしつかえないでしょ。
だけど、もっと大昔、
1万年くらい前に洞窟の壁に
宇宙人みたいな姿の絵が
描かれていたりすると、
本当にあったものか、
空想のものか、
分からないこともある。
*
とはいえ、
写真も映像もない時代だったから、
記録して残そう、という意志をもって
描かれた絵がたくさんあったはず。
そんなことを考えていると
記録としての価値を残そう、
という思いを、いま持つことは
なかなか難しい。
スマホがあれば超簡単に
できちゃうし。
自分が絵を描く立場に立ってみると、
どういう絵に価値があるんだろう
と思わざるを得ない。
自分の描いた「人の様子」や、
「街の様子」の絵が
ずっと未来の人が見た時に、
資料としての価値が出るほど
「今」を観察して描けているか。
いま、当たり前で、
当然すぎるようなことこそ、
ずっと後になって、
感心するようなことだったりする。
地面のコンクリートの質感とか、
靴でも、具体的に
女性がNマークのスニーカーを
好んではいていることとか、
信号機のデザインと構造とか、
マンションの階段の数とか。
*
前に、昔の中国の絵本を
描いたけれど、
その絵が単に物語の挿絵としての
機能だけではなくて、
建物や服装、人の関係性みたいな
歴史の空気感を知るための
要素になっているか。
ということが気になってくる。
(もっとちゃんと描くべきだった。)
*
そういうことを思いながら、
昔の絵を描いていた人に
思いを重ねてみようとすると
この絵を描くにあたって、
どこまでを観察して、
どういう意志で描いたのか、
その人の悩ましい顔が
浮かんでくる。
2019/07/16