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絵の記録としての価値について

昔の生活を知るのに、
絵画を参照することがある。

江戸時代の絵巻物に描かれてる
人々の暮らしの様子をみて、
昔はこんな生活をしていたんだな
と想像したり。

突拍子もない話だけど
都市伝説的な話で
古代エジプトにある石碑に
ヘリコプターや潜水艦のような
乗り物が彫られていたり
したんだって。

こういうものを見て、
一部の人は、かつて超古代文明が
あったのだ、と思ったりするらしい。
それはそれで楽しいなと思う。

けれど、描かれたものすべてを、
むやみに本当だと思い込むのも
怪しいと思う。

へんな例えだけど、
ホラー映画「リング」の映像が、
たとえば1000年後の未来に
発見されたとする。

それをみた未来人は、おののくだろう。
かつての日本には、
こんな恐ろしい魔法のような呪いが
あったのだ…
というより、こんな呪いを作りうる
なにかしらの「技術」があったのだ、
と思うかもしれない。

スターウォーズだって、
その頃からすでに宇宙戦争が
あったのか、と思うかもしれない。

バカげているけれど、
これはフィクションです、という
文脈があるかないかを見極めるのは、
難しい場合もあるのではないか。

昔のものでも、
鳥獣戯画や、地獄絵図なんかは、
さすがに想像上のものだと
考えてさしつかえないでしょ。

だけど、もっと大昔、
1万年くらい前に洞窟の壁に
宇宙人みたいな姿の絵が
描かれていたりすると、
本当にあったものか、
空想のものか、
分からないこともある。

とはいえ、
写真も映像もない時代だったから、
記録して残そう、という意志をもって
描かれた絵がたくさんあったはず。

そんなことを考えていると
記録としての価値を残そう、
という思いを、いま持つことは
なかなか難しい。

スマホがあれば超簡単に
できちゃうし。

自分が絵を描く立場に立ってみると、
どういう絵に価値があるんだろう
と思わざるを得ない。

自分の描いた「人の様子」や、
「街の様子」の絵が
ずっと未来の人が見た時に、
資料としての価値が出るほど
「今」を観察して描けているか。

いま、当たり前で、
当然すぎるようなことこそ、
ずっと後になって、
感心するようなことだったりする。

地面のコンクリートの質感とか、
靴でも、具体的に
女性がNマークのスニーカーを
好んではいていることとか、
信号機のデザインと構造とか、
マンションの階段の数とか。

前に、昔の中国の絵本
描いたけれど、
その絵が単に物語の挿絵としての
機能だけではなくて、
建物や服装、人の関係性みたいな
歴史の空気感を知るための
要素になっているか。

ということが気になってくる。
(もっとちゃんと描くべきだった。)

そういうことを思いながら、
昔の絵を描いていた人に
思いを重ねてみようとすると
この絵を描くにあたって、
どこまでを観察して、
どういう意志で描いたのか、
その人の悩ましい顔が
浮かんでくる。

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