積極的散漫
最近、コーヒーメーカーを頂いて
挽いた豆とフィルターを用意したので、
朝になると、コーヒーをいれようかな
という気分になる。
これが楽しい。
ふつうフィルターをセットして粉を入れて、
水をタンクに入れたら、
ふたを閉じてスイッチを入れるだけで、
あっというまにコーヒーが出来上がる。
だから、淹れてくれる間に、
机を片付けたり
昨夜の洗い物をしたり、
朝ごはんのパンを焼いたりできるんだけど
そうはしない。
イタリアンローストのコーヒー粉を
山なりに積もらせて、
タンクに水を入れ、スイッチを入れたら
ふたを閉めずに、様子を眺める。
スチームのような、シュワ、シュワという
蒸気とともに、最初のお湯がちょろろっと
出てきて、
コーヒー粉の頂上を沈ませていく。
いい香りがするので、
内部にお湯が染みわたって
反応を起こしているのが分かる。
少し間をおいて出た次のお湯は、
またもや、すっと吸い込まれるが、
かわりにもこもことした泡をふくらませる。
こぽこぽお湯が注がれるたびに
コーヒー粉はしっとりふくらんで、
泡のクリーム色と
香ばしいハンバーグのような質感が
たぷたぷと保たれて
眺めているだけでうれしい。
ふくらんだら、すぐにしぼむ。
するとまたきれいな蒸気とともに
お湯が注がれる。
こぽろぽこぽこといい音をだして
ふくらみ、また沈む。
*
ふたを開けるといえば、
印刷中のプリンター。
たとえば、32ページものを印刷するときに
各見開きページごとに
データを分けているので、
印刷ボタンをおしたら、
また次のファイルを開いて、印刷を押して…
としなければならないのに、
つい、
印刷している様子を眺めてしまう。
徐々に形が作られてく様子は
見ているだけで、ぼーっとできて
楽しい。
*
それから、煮物の鍋のふたも
必要以上にあけて、ながめてしまう。
*
集中力は2時間以上は持続しない。
という。
集中力が低下するというのは、
つまり脳内に強制的な散漫状態が
発生するということ。
あるていど散漫すると、また
集中する持続力がたまってくるらしい。
ゲームの体力ゲージみたいなものが
思い浮かぶ。
切れるとゲージは赤になって、
なにかやっているようでも
実のところ「全く」捗らなくなる。
人よりも集中ゲージが短いぼくは、
どうせすぐ集中が切れてしまうのだから、
積極的にゲージ回復に努めるべきだ。
と思う。
回復とはつまり、積極的散漫だ。
ふたを開けると、そこに散漫がある。
なにも考えたり、
なにかを得ようと思わない。
ぼーっと見る。
2018/04/14