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私的純度

天気がいいとそれだけで
幸福な気分になれる。
 
ビルとビルの間にある空き地に
足を止めて佇んでしまう。
 
ああ、いいなあ。
いいなあ、と思っていると、
次第に景色が消えて行く。
消えて行くというより、
頭の中で見たいものだけが
淘汰されて浮き上がってくるようだ。
 

 
旗が風にふくらんでいる様子からは、
「おでんお買い得セール」の表記が
消えている。
 
細々とした霧水が
散布されている風景からも、
ホースを握っている
中華屋のエプロンをしたおばさんは、
いなくなる。
 
空にきれいな線を描いているのが、
煩雑な電線である、ということも
忘れてしまうような気がする。
 
いっとき、人の喧騒がしない丘陵の上に
いるような気がする。
 
それがこの上なく充実した
濃密な時間に思えてとてもうれしい。
 
高木正勝の音楽を聞いていた
せいもあるかもしれない。
 

 
ふっと学生の頃を思い出した。
さほど昔じゃあないんだけど。
 
他の人が全くの無意味だと思うことに
時間を費やしていた、という記憶。
 
皆がカダイだ、コウヒョウだ、
ニテツだ、サンテツだと、
慌てふためいているときに、
ぼくは裏門を出た林の中を
彷徨っていた。
 
時には学校まで電車で50分は
かかるところを3時間かけて歩いて行き、
授業をサボり、周辺を探検し、
ああ、こんな道があるのか、とか
この道はここと繋がっているのか、とか
そういうことばかりしていた。
 
うろうろ歩き回っている時に
先のような幸福感を度々味わっていた。
 
じっとして、ああ、
こんなに心地良いことは
他にそうそうない、と思っていた。
 
悪く言えば、自己中心的だけれど、
自分のことを考える、感じる、という
純度が限りなく高い経験だったと思う。
 
必要ないと感じるものはみんな
自分の幸福感の中に
溺れてしまうようでした。
 

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