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神社の鏡のひみつ

自転車で10分くらいのところに、
かなり歴史のある神社があります。

起源を調べると1900年くらい前だといわれて
いるんだけど、え?世界遺産かよっていう
レベルで、やや疑いの念を隠せません。

先日本殿に入る機会があったのですが、
神社に突如興味を持ち始めた義母に
「その神社に鏡があるのか見てきてほしい」
という任命をうけて、鏡?と思いながら
本殿に入ると、たしかに
お寺でいうところの仏像が置いてある場所に
大きな丸い鏡が置いてありました。

そういえば、神棚にも丸い鏡
あるよなあ。あれってなんだろう?

義母がいうには、
あれは参拝した人が自分自身を見つめるために
あるんだって。
本来神様がいる場所においてある鏡。
つまり、あなた自身の中に神様がいるんだ、
ということらしいんです。

そんなわけない…よ?
だって、そんな実感ないし。
と思うのですが、角度を変えて考えてみると、
たしかにそうかも、と思える節もあるんです。

思えば自分って、すべて自分でコントロール
しているわけじゃないですよね。

わかりやすいところでいうと、内臓。
心臓は勝手に動くし、
髪の毛も勝手に伸びる。
寝ている間の呼吸だってぼくが
自分でしているという意識はなし。

日々の体調や気分だって思わぬタイミングで
変化することがあります。

それは、季節に旬の野菜があるように、
動物の繁殖期や、渡り鳥の移動する周期が
あるように、地球と太陽との位置の移動が
ぼくたちのなかにも影響を与えているらしい。

…と解剖学者の三木成夫さんが
本に書いていたのを思い出しました。

つまり、太陽系と一緒にめぐっている私たち。
もっとも身近な天体とは、自分の体なんだと。

そう聞くと、
自分のなかにもう一人の「自然」が
住んでいるという気がしてきます。

そこでもう一人思い出したのが、
吉本ばななさん。

「「違うこと」をしないこと」という
本があるんですけど、
そこで書かれていることこそ、
自分のなかにいる、もう一人の自然にとって
違うことをしない、という内容なんです。

世の中には、いろんな素敵な方が
たくさんいるので、
そういう人をみてうらやましく思ったり、
焦ったり、いろいろ手を出したくなったり、
道をそれがち。

それでもいいんですけど、
もし、心のどこかでちょっとでも
「違うかも」と思うことがあったら、
それはしないこと。

「まるでスポーツの試合のように、
ただ全身で、その場に求められていることを
判断すること。
そうしたら扉は開く。
別に幸運に向かってというわけではなく、
ただ、自分の道に向かって。
とてつもなく大きななにかの流れに乗って。」

その流れっていうのが、
自分のなかにいる「自然」の動き
なんじゃないかな。

そういう感覚に自分は気が付けて
いるんだろうか?と思います。

いまだ、と感じることや、
「違う」と思える感覚に気が付けることって
難しいから。

…そこで、神社の鏡、というわけなんだな、
とぼくのなかでつながった気持ちでした。

自分のことを俯瞰して見つめるために
どうしたらいいかなと、
湯船のなかで目をつむったりしながら…。

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