知らないところで動いてる
穂村弘のエッセイ「整形前夜」(講談社)
を読んでいたら太宰治「人間失格」が
引用されていました。懐かしい。
こんな部分。
「めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、
自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか
聞こえませんでした。その迷信は、
(いまでも自分には、何だか迷信のように
思われてならないのですが)しかし、
いつも自分に不安と恐怖を与えました。」
*
これを読んで
おなかがすくっていうのは、
社会そのものだなと思ったんです。
*
本当は、自分の時間だけで
こっそり動いていたい。
だれにも知られない隠れ場所で
楽しい気持ちでいたい。
けれども、
自分には体がある。
体は、自分の意思とは別のところで、
体温を保って、髪の毛や爪を伸ばし、
呼吸し、血をめぐらせて
つまり、どんどん生きていく。
燃料補給としておなかがすくし、
それを止めることはできない…という。
別のいきものを自分の中で育てていて
「自分だけの世界に浸っていたい」
という時間を止めざるを得ない。
みたいな。
風が吹けば桶屋が儲かる、みたいな
感じでいうなら…
おなかが減ったら、料理をするし、
料理をするためには食材を買うし、
食材を買うにはお金もいるし、
そのために仕事をしないといけない、
仕事をするには社会と
かかわらないといけない…
*
自分は自分だ、と思いながらも、
自分は自分だけじゃない。
大きな流れに乗っかってしまっている
「体」を携えているという事実。
自分の意識とは関係のないところで
今この瞬間もモリモリ生きている。
太宰治もそのギャップに
恐怖心を感じているのかもな。
*
最近、空の星にちょっとだけ
興味があって
「空のひしゃく北斗七星」
(岩波書店)
という翻訳絵本を読んだんですけど
そこに、どのくらい自分の体は
「大きな流れ」に乗っているのか、
ということが書いてあったので
メモがわりに書き留めておこう。
*
まず、ぼくたちは
時速1300キロで回っている。
これは地球の自転。
さらに一年で、
宇宙空間を9億4000万キロ進んでいる。
これは公転。
時速にして10万7000キロの速さで
太陽のまわりを大移動しているんです。
年齢を掛け算すれば、途方もない距離を
知らないうちに移動しているという
ことになりますよね。
相当な勢いと、速さ。
ふだん感じないとはいえ、
この動きが自分の体に影響がないわけが
ない、という気がします。
自転は一日を、
公転は季節を作っているので、
朝型、夜型人間がいたり、
調子のいい季節があったり、
なんだかよくわからないところで
気分の波があったり、
実はこういうのも全部、宇宙の大移動の
せいなんじゃないかな。
という気さえしてきます。
2022/08/21