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知らないところで動いてる

穂村弘のエッセイ「整形前夜」(講談社)
を読んでいたら太宰治「人間失格」が
引用されていました。懐かしい。

こんな部分。
「めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、
自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか
聞こえませんでした。その迷信は、
(いまでも自分には、何だか迷信のように
思われてならないのですが)しかし、
いつも自分に不安と恐怖を与えました。」

これを読んで
おなかがすくっていうのは、
社会そのものだなと思ったんです。

本当は、自分の時間だけで
こっそり動いていたい。
だれにも知られない隠れ場所で
楽しい気持ちでいたい。

けれども、
自分には体がある。
体は、自分の意思とは別のところで、
体温を保って、髪の毛や爪を伸ばし、
呼吸し、血をめぐらせて
つまり、どんどん生きていく。

燃料補給としておなかがすくし、
それを止めることはできない…という。

別のいきものを自分の中で育てていて
「自分だけの世界に浸っていたい」
という時間を止めざるを得ない。
みたいな。

風が吹けば桶屋が儲かる、みたいな
感じでいうなら…
おなかが減ったら、料理をするし、
料理をするためには食材を買うし、
食材を買うにはお金もいるし、
そのために仕事をしないといけない、
仕事をするには社会と
かかわらないといけない…

自分は自分だ、と思いながらも、
自分は自分だけじゃない。
大きな流れに乗っかってしまっている
「体」を携えているという事実。

自分の意識とは関係のないところで
今この瞬間もモリモリ生きている。

太宰治もそのギャップに
恐怖心を感じているのかもな。

最近、空の星にちょっとだけ
興味があって
「空のひしゃく北斗七星」
(岩波書店)
という翻訳絵本を読んだんですけど
そこに、どのくらい自分の体は
「大きな流れ」に乗っているのか、
ということが書いてあったので
メモがわりに書き留めておこう。

まず、ぼくたちは
時速1300キロで回っている。
これは地球の自転。

さらに一年で、
宇宙空間を9億4000万キロ進んでいる。
これは公転。
時速にして10万7000キロの速さで
太陽のまわりを大移動しているんです。
年齢を掛け算すれば、途方もない距離を
知らないうちに移動しているという
ことになりますよね。

相当な勢いと、速さ。
ふだん感じないとはいえ、
この動きが自分の体に影響がないわけが
ない、という気がします。

自転は一日を、
公転は季節を作っているので、

朝型、夜型人間がいたり、
調子のいい季節があったり、
なんだかよくわからないところで
気分の波があったり、
実はこういうのも全部、宇宙の大移動の
せいなんじゃないかな。
という気さえしてきます。

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