現実に軍配
ちいさな子どもが、
「たいようってどこからくるの」
という疑問をもったとする。
そこで、こちらは
じゃあ、じぶんで考えてごらんなさいな、
と紙と色鉛筆をわたす。
よしきた、と言わんばかりに
机にむかってぐりぐりと描きはじめ、
これがなんなのか説明してくれる。
「これはふじさんで、たいようのおうちは
このなかにあって、
ふとんとおふろと、ごはんはマグマ。
あさおきると、たいようはここからでてくるんだ。
だから山のむこうからのぼってくるみたいに
みえるんだよ。」
ということを述べたとする。
たとえばこれが5才の子だったとしよう。
おそらく大抵の大人は、
この子は天才なんじゃないか、
少なくともかなりの才能と可能性に
満ちている、とかんがえる。
自分の力で仮説を立てることは、
そうやさしいものじゃない。
*
とはいうものの、現実は違う。
子どもの目線や体感だけから、
いくら太陽を観察しても、
「太陽の周りを地球が回っているから、
かくれたり、あらわれたりする。」
ということは、教えない限り、
知り得るはずは無い。
だから分からないの当たり前なんだけど、
想像と事実とはかけ離れたものになりがち。
科学的事実を、大抵の大人は
(といっても個人的な感覚なんだけど)
自由な発想と比べたら、つまらない、
と思うだろうなと予想できる。
発想は無邪気で豊かな方が面白い。
これが、いま、自分の中で
そうとも限らないぞ、という気持ちが
頭をもたげてきている。
*
大昔、インドでは、地球は大きな蛇と
象と亀の上にあるのだ、と思われていた。
こういうのって、想像するだけでたのしいし、
わくわくする。
一方で、地球は太陽の周りを回っている
星のひとつなんだ、という事実は
どこか味気のない話にしか思えない。
けれど、ちょっと話し方を変えるだけで
この事実ですら、奇妙に思えてくる。
たとえば、手のひらにのせたボールを
巨大な岩(それも高温で燃えている)の
近くに投げたら、
不思議な力でボールは燃える岩に引き寄せられ
遠心力とちょうど釣り合って、
ぐるぐると宙に浮かんだまま回りつづける。
このボールがわたしたちが住んでいる地球なんだ。
と言ったら、そんなこと、
現実で起こるはずがない!と思えてくる。
巨大な亀や象や蛇と同じくらい、
じつはヘンテコなことが起きている。
*
しかも、どうやらそれは、マジなのだ。
心霊も超能力も信じられないこの時代に、
不思議な力で引き寄せ合う巨大なボールの
上にぼくたちは住んでいるということが
ちょっとだけ、不思議に思えてはこないだろうか。
*
「風はどこからくるんだろう」
という質問に対して、
鬼が巨大なうちわで仰いでいる、
というのと、
空気でできたずっしりしたおまんじゅうが
おしくらまんじゅうして
とばされたおまんじゅうのかけらが
風なんだよ、
というのと、言い方によっては
どっちもおもしろい。
後者の方に追加点を与えるなら、
現実のことの方が、ことこまかに
興味を持って調べて行けば、
どこまでいってもきりがないくらい
神秘の面白さが待っている。
ということだ。
2015/11/09