猫への会釈
駅からの帰り道、のら猫に出会った。
*
そういえば、
かつていた大学にも猫はよく出没した。
学食にも、画材屋のわきにも、
旧図書館の裏の隠れ場所(いまはもうない)や
部屋内にもしれっと入ってきたりも。
猫はぼやっとたたずんでいるが、それと
セットで絵画女子もそこはかとなく
横にたたずむ。
そんな光景が日々みられる学校でした。
友人がいる絵画棟まで遊びに
むかう途中、あまりに見かけるので
「どうして猫をみると、あんなに
足を止めたがるのだろう」と友人と
ふたり傍目で話していたものでした。
猫には緊張しない、というのが
そこで出た結論でした。
どんな内気な恥ずかしがり屋さんでも、
猫を前には緊張しないのだということ。
ことばもいらないし、
ただぼんやりした波長を猫に
合わせればそれで通じ合ってしまう。
ストレスフリーな存在なのだと。
じつはぼく自身も猫を見ると、
足を止めずにはいられない質。
足を止めるだけでなく、しゃがんで、
いかにも「いいもの持ってる」手つきで
猫を呼びたくなってしまう。
猫だけではない。
かわいい赤ちゃんと目があったときも
ついアイコンタクトをとってしまう。
ちょっとにこっとしたりして。
赤ちゃんもやっぱり人を緊張させない
ストレスフリーな存在だろうと思う。
*
帰り道で猫と会って、改めて
なんでだろうと思いました。
「逆に」と考えて、完全に無視して
みようと思い立った。
視線を感じるけど、
頑張って通りすぎてみました。
すると、どういうわけか心苦しく、
罪悪感すら感じてしまった。
電車で席を譲ってもらったのに、
会釈もしないで座ったみたいな感じ。
あ、そうか、と思う。
足を止めるのは「ありがとう」と
言うのと似ているのかもしれない。
誰でも人と話すときは、
知らない人でも、苦手な人も、好きな人も、
どこかでいつも緊張してしまう。
そのなかで無条件でリラックスできる
オアシス的な相手と出会えると、
それだけでありがとう、という気になる。
そんな思いを放っておけない心が、
つい足を止めさせてしまうのだ、
と思う。
2014/03/30