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猫への会釈

駅からの帰り道、のら猫に出会った。
 

 
そういえば、
かつていた大学にも猫はよく出没した。
学食にも、画材屋のわきにも、
旧図書館の裏の隠れ場所(いまはもうない)や
部屋内にもしれっと入ってきたりも。
 
猫はぼやっとたたずんでいるが、それと
セットで絵画女子もそこはかとなく
横にたたずむ。
そんな光景が日々みられる学校でした。
 
友人がいる絵画棟まで遊びに
むかう途中、あまりに見かけるので
「どうして猫をみると、あんなに
足を止めたがるのだろう」と友人と
ふたり傍目で話していたものでした。
 
だっこ137
 
猫には緊張しない、というのが
そこで出た結論でした。
 
どんな内気な恥ずかしがり屋さんでも、
猫を前には緊張しないのだということ。
 
ことばもいらないし、
ただぼんやりした波長を猫に
合わせればそれで通じ合ってしまう。
ストレスフリーな存在なのだと。
 
じつはぼく自身も猫を見ると、
足を止めずにはいられない質。
足を止めるだけでなく、しゃがんで、
いかにも「いいもの持ってる」手つきで
猫を呼びたくなってしまう。
 
猫だけではない。
かわいい赤ちゃんと目があったときも
ついアイコンタクトをとってしまう。
ちょっとにこっとしたりして。
 
赤ちゃんもやっぱり人を緊張させない
ストレスフリーな存在だろうと思う。
 

 
帰り道で猫と会って、改めて
なんでだろうと思いました。
「逆に」と考えて、完全に無視して
みようと思い立った。
視線を感じるけど、
頑張って通りすぎてみました。
 
すると、どういうわけか心苦しく、
罪悪感すら感じてしまった。
電車で席を譲ってもらったのに、
会釈もしないで座ったみたいな感じ。
 
あ、そうか、と思う。
足を止めるのは「ありがとう」と
言うのと似ているのかもしれない。
 
誰でも人と話すときは、
知らない人でも、苦手な人も、好きな人も、
どこかでいつも緊張してしまう。
 
そのなかで無条件でリラックスできる
オアシス的な相手と出会えると、
それだけでありがとう、という気になる。
 
そんな思いを放っておけない心が、
つい足を止めさせてしまうのだ、
と思う。

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