猫の鳴き声の意味
もしも「一種類しか発音できない」
という状況になったら、どうしよう。
なんだその状況って、って思うかもだけど、
仮に、「あ」しか言えないとする。
そうなると、高度な内容は語れない。
声をかけるとか、なにかを指し示す、
くらいならできそうだけど、
そんなに多くは伝えられなさそう。
ただ抑揚を使えば大分表現できるんじゃないか。
驚いたとき、感心したとき、悲しいとき、
感情は言葉がなくても伝わりそうだ。
うーむ、よし感情の表現はできたとして、
でもやっぱり「意味を伝える」のは
難しいだろう。
と考えたところで、ふと反論を思い付く。
伝わるかどうかの問題は、その場の状況も
影響するんじゃないか。
*
ひとつ例をあげてみる。
日常的な「単発音になる状況」、
…それは車のクラクション。
クラクションは注意を促すのに
使われるというイメージがあるが、
道を譲ってもらえたときに軽くならすと
「ありがとう」という伝わり方をする。
他にも「お先にどうぞ」だったり、
「信号青になってんじゃねえか」とか
「迎えにきたよ」という合図だったり。
「ぷ」だけでも実にいろんな意味として
伝わる。時と場合によって。
*
だけどちょっと物足りない。
というのは、車のクラクションは
公共のものであって、
個人的な自己表現ではない。
なんだかよくわかんねえけど、
こんなふうに鳴らしてみてえ気持ちなんだ、
「ぷーぷっぷぷっぷ」…
なんてのは、まずありえないでしょう。
日常生活でも親しい友人や恋人、
あるいはひとりでいる時なんてのは、
無意味な発言をついしてしまうもの。
「むおー」とか「にゃん」とか「ぎゃひー」とか
言わない?言うでしょう。ぼくは言う。
そういう、なんだか知らねえけど、
そう言ってみたい気がしたから
言ってみたんだ、みたいなことってある。
*
最終的に、この話がどこに着地するか
というと、猫のこと。
猫が鳴く時って、「ドアあけて」とか
「めし」とか「あそんで」とか、
「やめろ」とか「離してくれ」とか
大抵の場合はよくわかる。
だけど、なんとはなしに、「にゃー」なんて
言いながらふわふわしている様をみて、
ぼくはときどき
「猫が言葉をしゃべれたら、いま
何て言ってるんだろう」と思う時がある。
しかし、その疑問はナンセンス!
ただ鳴いてみた、叫んでみた、呼んでみた、
意味として翻訳できる前の、
「なんかそんな気がしてね」
という生き物特有のノイズ的な感覚で
鳴いているんだ、とぼくは解釈する。
言葉で喋り慣れると、ときどき、
なにもかもが「言葉である」と
思ってしまう。
「ちゃんと伝えるには言葉でないと」
とか、
「すべてが言葉で解釈ができる」
とか、平気で思えてしまう。
もしかしたら、
そんなことはないのかも。
2015/11/14