無駄への意識
時間がなくなってくると
余裕もできなくなる。
そこであらためて
自分の能力の低さに気がつきます。
時間がなくなるというのは、
効率的にものごとを進めないと
いけないということで、
具体的には、電車の中で今日の
スケジュールを確認したり、
お風呂の中で今日の作文は
何を書こうかと考えたりなど、
無駄な時間を有効に使う必要がある。
けれど、それができない。
電車では、ぼーっと景色を
眺めているか、寝てしまうかだし、
お風呂の中では、
その日あった出来事の中で
一番どうでもいいことを頭の中で
再現して、ああだこうだ、と思う。
言うなれば「一人世間話」。
楽しくも、つまらなくもなく、
微量の後悔をエネルギーとして
ただ淡々と思い起こす。
なんの役にも立たない思考?をします。
*
ここでふと思う。
ぼくの人生の中の6割近くは
おそらく無駄で、記憶にものこらず、
無意識で、役にも立たないという
エアポケットのような時間。
こういう時間って本当に、
何にもならないのでしょうか。
広くてきれいな景色を見ると、
圧倒されたり、しみじみする体感に
心が和んだりしますが、
あれだって、何の役に立っているのか
分かったものじゃない。
日々の時間の積み重ねが、
自分の表現や人格に、一体何の影響を
与えているのか。
簡単に言えば、
意識が必要なのだと思う。
じぶんから何かに近づいていこうという
意識がないと感動も無駄になってしまう。
ほんとうに無駄な時間も、
無駄だと意識することで、大切な価値が
感じられるかもしれない。
ぼくは、そういう意識の焦点を
合わせるのにとても時間がかかる。
時間がたっぷりないと、
いったりきたり、ができない。
それがぼくの能力の低さなのだと
自己分析。
2012/11/28