無限コンテニュー
ぜいたくなことって、なんだろう。
と考えると、
あ、これか、と思い当たることが
ありました。
それは、
何回も何回もやり直しができる、
ということ。
*
たいてい誰かからの依頼や、
仕事として関わることになると、
「ここまで」が決まっている。
一回、完成です、と決まると、
もうそれが、たとえばたくさん複製されて
いろんな方の目にふれる…
そうなると、あとで後悔しても、
ちょっと直したいと冷や汗かいても、
ただただ、背筋がぞっとするだけで、
対処としては、自分の気持ちをよしよしと
なだめるくらいしかできない。。
ところが、
インスタグラムで毎日描いている
似顔絵の絵は、
昨日のに反省点があれば、
今日取り返すチャンスがある。
そして、もし今日また反省しても、
明日がある。まさしく、
ドン・ガバチョ状態で繰り返し
コンテニューすることができる。
たしかに、一度描いてしまえば
それは残ってしまうのですが、
だからこそ、
短いスパンで、満足が行くように描く!
という気持ちがモチベになるんです。
*
日々描いていると、
次はどんな工夫ができるかな、と
国内外のメイキング動画を
参考のために眺めるのですが
そのうちの一人が
「禅マインドビギナーズ・マインド」
(鈴木俊隆著)松永太郎訳
という本を紹介していて、
「書道を学んでいると、
あまり技術の巧みでない人が
最良の書家になることがあります」
を、引用して話していたんです。
どういうことだろうと思って、
kindleで読んでみたので、
やんわりと解説してみよう。
*
「将錯就錯」(しょうしゃくじゅしゃく)
という言葉をご存知でしょうか?
仏教の言葉で、何度も間違い続ける、
という世にも恐ろしい意味だそうです。
まず「ぼくのことじゃ!」と思う。
もしかしたら、あなたにも
思いあたる節があるかもしれない。
そんなあなたに朗報です。
これには続きの解釈があるんです。
「道元によれば、ずっと続く間違い(こそ)が
禅でもあります。」と。
「それは、長い年月、
間違えても間違えても、
ひたむきに続ける、ということです。」
「自分のことをよい父親であると
考えている人は、よい父親ではありません。」
「もしよい夫になろうと専心して
努力していれば、自分を最悪の夫と
考えても、よい夫になりえます。」
*
ということだそうです。
できる!できた!と本気で思った瞬間から、
その先にいく努力が存在しなくなってしまう。
これがだめだった!という思いが
具体的であればあるほど、
その気持ちをかかえた足取りは
自然とよき方へ向いて行く。
その状態を保ち続けることが
「禅」的にみて、とても健全であると。
うわあ、それずっと苦しいじゃん、
と思いつつも、苦しいと思う事が
自分のよき方向へ踏みしめる力に
変わっていると思えば、
苦しさもワクワクに変わっていく心地に。
そう、人生は続くかぎり
無限のコンテニューなんです。
明日もタダでコンテニューできる。
ゲーセンだったら、
なんてぜいたくなんだろうな、と思う。
2021/02/16