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無いことにしている時間

手当たり次第、本を読む、
ということはなくて、ぼくの場合、
興味があった分だけ本を読む。
 
だから、今まさに読んでいる本は、
自分のなかの興味の最先端。
ということ。
 
それで、おもしろいのは、
無意識に読んでいる数冊の本が
関係無いようで、はっと気がつくと、
リンクしていることがある。
 
それが、意外な組み合わせな時程、
妙な嬉しさを
まとった気分になれる。
 
読んでいる本のタイトルを
ポーカーの手札とすれば、
ぺアとして成立する組み合わせに
なっているような。
 
気味が良い。こっそり
ひっひっひと笑いたくなる。
 

 
いま読んでいるのは、
さくらももこのエッセイと
「ちびまる子ちゃん」。
 
それから、「枕草子」の現代語訳。
 
どうして、どの2冊に至ったのか、
と、突然質問されても困る。
記憶とは、愚かなもので、
その時々に感じた気持ちの
道筋というものを
すぐに忘れてしまう。
 
理由はあるはずだけど、覚えてない。
 
無理に言葉にすると、なおのこと
くだらない。
枕草子は、駅のトイレの
あったかい便座に座りながら、
とつぜん「そうだ、枕草子だ」と
思ったのは覚えているが、
どうしてそう思ったのかは、
まるで覚えていないし。
 
「ちびまる子ちゃん」も
Youtubeのおすすめ動画に
出てきたので、みた、
というくらいのもので、
そこから何を思ったか、
本棚に長いことしまってあった
「もものかんずめ」「いきもの図鑑」
「ももこのきもち」などを
読み出した。
いったい何を思ったのかは謎のまま。
 

 
この2冊をふりかえってみよう。
共通点はどちらも日常を
描いているところ。
 
それも、よくそんな普通のことを
おもしろいって思えたもんだね、
と思って感心するくらい、地味な。
 
でも読んでいて、
ああ、これ、あるあるって思えて
面白いのがにくい。
 
枕草子なんて、千年も前のことなのに、
そのキモチ、わかるーって思えるのは、
なんと不思議で
こころときめくものだろうって感じ。
 
昔の貴族の人の地味で普通な生活で
あればあるほど、リアルに感じられて
現在のぼくにとって面白い。
 

 
地味な時間ほど忘れる。
忘れるから何も無いと思う。
 
でも、ないと思っていても、
なにかの気持ちをもって、
どこかの場所に自分はいて、
そこでなにかを思っている。
 
そういう当たり前で、
面白くないことだけでは、
いい時間を過ごしたとは
言いがたい。
 
だから特別で、思い出に残したい
時間をすごしたいと願う。
 
楽しい時間ばかりが「時間」であると
ぼくも思ってしまうので、
そうでない時間は、記憶上では
無になっている。
 
だって「無」にしないと、
自分のくだらなさを、
ひたすら認めることになる。
 
でも、それをちゃんと認めることが
実はほんとうの私をみつめることで、
味わいが深いことなんだな、
と、「枕草子」と「まるちゃん」を
読んでいて思うのであった。

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