無いことにしている時間
手当たり次第、本を読む、
ということはなくて、ぼくの場合、
興味があった分だけ本を読む。
だから、今まさに読んでいる本は、
自分のなかの興味の最先端。
ということ。
それで、おもしろいのは、
無意識に読んでいる数冊の本が
関係無いようで、はっと気がつくと、
リンクしていることがある。
それが、意外な組み合わせな時程、
妙な嬉しさを
まとった気分になれる。
読んでいる本のタイトルを
ポーカーの手札とすれば、
ぺアとして成立する組み合わせに
なっているような。
気味が良い。こっそり
ひっひっひと笑いたくなる。
*
いま読んでいるのは、
さくらももこのエッセイと
「ちびまる子ちゃん」。
それから、「枕草子」の現代語訳。
どうして、どの2冊に至ったのか、
と、突然質問されても困る。
記憶とは、愚かなもので、
その時々に感じた気持ちの
道筋というものを
すぐに忘れてしまう。
理由はあるはずだけど、覚えてない。
無理に言葉にすると、なおのこと
くだらない。
枕草子は、駅のトイレの
あったかい便座に座りながら、
とつぜん「そうだ、枕草子だ」と
思ったのは覚えているが、
どうしてそう思ったのかは、
まるで覚えていないし。
「ちびまる子ちゃん」も
Youtubeのおすすめ動画に
出てきたので、みた、
というくらいのもので、
そこから何を思ったか、
本棚に長いことしまってあった
「もものかんずめ」「いきもの図鑑」
「ももこのきもち」などを
読み出した。
いったい何を思ったのかは謎のまま。
*
この2冊をふりかえってみよう。
共通点はどちらも日常を
描いているところ。
それも、よくそんな普通のことを
おもしろいって思えたもんだね、
と思って感心するくらい、地味な。
でも読んでいて、
ああ、これ、あるあるって思えて
面白いのがにくい。
枕草子なんて、千年も前のことなのに、
そのキモチ、わかるーって思えるのは、
なんと不思議で
こころときめくものだろうって感じ。
昔の貴族の人の地味で普通な生活で
あればあるほど、リアルに感じられて
現在のぼくにとって面白い。
*
地味な時間ほど忘れる。
忘れるから何も無いと思う。
でも、ないと思っていても、
なにかの気持ちをもって、
どこかの場所に自分はいて、
そこでなにかを思っている。
そういう当たり前で、
面白くないことだけでは、
いい時間を過ごしたとは
言いがたい。
だから特別で、思い出に残したい
時間をすごしたいと願う。
楽しい時間ばかりが「時間」であると
ぼくも思ってしまうので、
そうでない時間は、記憶上では
無になっている。
だって「無」にしないと、
自分のくだらなさを、
ひたすら認めることになる。
でも、それをちゃんと認めることが
実はほんとうの私をみつめることで、
味わいが深いことなんだな、
と、「枕草子」と「まるちゃん」を
読んでいて思うのであった。
2017/12/23