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気持ちに、厳密に

お風呂につかりながら、
スタジオジブリの悲惨日記を読んで
わなわなしています。

っおもしろい…!
こんなに不毛で、ストレスで、
先の見えない日々に、明るい兆しを
こじ開けようとするプロデューサーの
西村氏(奇しくも同じ苗字)が書く、
高畑勲監督の「かぐや姫の物語」の
制作日記。

あ、そんな辛い状況でも
人って乗り越えていけるんだって
読んでいて不思議と鼓舞されるブログ。

どんな内容か、一部を紹介。

高畑勲は当時スタジオジブリには
所属しておらず、いわば
フリーランスの監督とのこと。
だからジブリに出社するってことがない。

企画ごとに担当者がついて、、
ということらしいんだけど、
とある新担当者が高畑氏に電話をかけて
「お世話になっております…」というと、
「あなたを”お世話”したつもりはないんですが」
と、出鼻をくじかれ、
会うことすらできなかったと…。

つい社交辞令で口をついてでる
(文面でもつい出てしまう)
「お世話になっております」に対して、
「お世話していないでしょ」と。

高畑勲は言葉に厳密な人だったようです。

(そんな監督と、様々な危機を
どうにか、こうにか乗り越えて
映画の完成までこぎつけるというブログ
面白いので、おすすめ)

谷川俊太郎さんの詩を読むと、
これに似たような気持ちになる。

言葉に厳密であることに、
ハッとさせられる。

「おだやかに」という詩を紹介。

追い求めると
楽しみには哀しみしか残らない
甘えると
苦しみはいつまでもうずく

失うもののないこころには
喜びが流れこんでくる

怒りが閉ざす
こころを閉ざす
うぬぼれがしばる
こころをしばる

おだやかにあれ こころよ
のびやかに しなやかに はれやかに

言われてみると、
だれの身にも覚えがあるような
気がしてくる。

でも、一度も言葉にして
考えたことがなかった。
それなのに読んでみて、
確かにそんな気がしていた、と思える。

気持ちの谷底のカゲに
はさまって見えなかった「感じ」や
「予感」が、
簡単に取り出されてしまった、と。
「それな」ってかんじ。

どうしてそんなことができたのか。
言葉の一つ一つを選ぶときに
夜の海にダイブしていくような試みを
幾度もくり返しているからではないか。

言葉のカッコよさ、雰囲気で、
なんとなく、で選んでいるわけじゃない。

なので腑に落ちる根拠が、
ふしぎと備わっている。

言葉の選び方が、
どこまで自分の、それから
人のこころに厳密か…、と省みてしまう。
仰ぎ見てしまう。

ときに言葉は気持ちを均すもの。

「言い尽くせない気持ち」があっても、
「今日は楽しかった」と書いてしまえば、
それで終わり。
言葉が、複雑な形をしていた気持ちを
平坦に均してしまう。

ちょっとした言いまわしとか
雰囲気で言う言葉って、
どこかでまあいいや、って思いつつ
使ってしまう。

デッサンでいう、形の外れた線って感じ。
自分の気持ちを
うっすらとごまかしているような
気持ち悪い感じ。
ちなみに、ぼくはよくやってしまう。

だから、高畑勲や、谷川俊太郎の
厳密さに出くわして…
(このあと「心が改まる」と書こうとしたが、
そうじゃなくて…)
反省しながらも、ちょっとだけ
わくわくする。
心が改まるというほど、
簡単に改まるわけじゃないけど。

言葉を選ぶとき、
自分の気持ちを軽薄にすると
なんだかよく分からなくなってくる。

いくら、真面目なつもりでいても
実は、ものすごく均され、薄まっている。
そうなるくらいなら、
なにも言わずにいた方がいいくらい。

だから、自分の気持ちを置いてけぼりに
しないよう、沈黙して、静かに、
考えてみるということが
とても大切な時間なんだよなと思う。

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