気持ちと理屈
あるとき、
空いた電車のなかで、
向かいにいる高校生2人が
話をしていました。
スマホのオンラインゲームを
やっている模様。
AとBがチームプレイで
だれかと対戦しているようです。
恐らく、Aが先にやられて、
のこりはBだけが相手と対戦している。
A「なあ、これどうなの?」
B「え?いや、9割負けるでしょ」
A「…9割負ける?」
B「…」
A「ってことは、
1割は勝てるってことだよね」
B「いやいやいや、そうは言ってないけど」
というこれだけの話なんだけど、
なんか気になって覚えていたんです。
*
最初にこの話に聞き耳を
立てていた時って、
「1割は勝てる説」をとなえた方に、
すこしだけずるいなあと
思っていたんです。
9割負けると思っているときって、
ふつう「勝てる」という言葉は
浮かんでこないから。
「期待はするなよ」という意味で
9割負けるという保険をかけたはずなのに
どうして、わざわざ1割の「勝つ」方に注目して
プレッシャーをかけるんだ。みたいな。
*
たしかに理屈としては、
9:1で、負:勝なんだけど、
気持ちとしては、
負:奇跡ってかんじ。
「勝つ」という積極性はないんだよと。
理屈としては、そうなのかもしれないけど
気持ちとしては、違うぞということって
よくあるのですが、
さっきの会話はまさに、それだなと。
*
人と会話をするときは
理屈よりも、気持ちを大切に汲んだ方が
「なんとなーく」でも自然とうまくいく。
一方、問題解決しようと
取り組んでいるときは、
気持ちよりも、理屈を優先して動く方が
効率的。
この二つがせめぎあっているなあ、
と時々思うことがあります。
今日はこれでおわり。
2021/07/09