気持ちが「情報量」だとしたら
インスタグラムをしていて
発見したのは、
自分の「返信の語彙力」のなさ。
これには困る。
コメントを頂くと、うれしくて、
ついスマホごしに両手を合わせて
ぐっと目を閉じてしまう。
「いや~、まじで、
ありがとうございます!」
っていう気分で、
その気持ちが丸ごと伝われば
いいんだけど、
返信は文字で表現しないと
伝わらないので、とりあえず、
「ありがとうございます」と
打ってみる。
でもそれだけだと
不思議なもので、表現したいだけの
ありがとうの「感じ」が出ない。
コメントの返信バリエーションが
「ありがとうございます」だらけに
なってくると余計に
価値が感じられなくなる。
なので、ありがとう、に続く言葉を
探そうとするんだけど、
なかなか見つからない。
えっと、この気持ちをどう言葉に
置き変えたらいいんだろう?
考え出すと、時間だけが過ぎていく。
1分くらいで返信しようとしていたのに
気が付いたら、30分くらい経っていた
なんてことが少なくない。
*
そこで絵文字を活用することに
なるんだけど、
これにもすぐに限界を感じる。
目がハートになっているのは、
使う人を選んじゃうし、
あ、目が星のもあるんだ!と
多用していると、
「世界に一つだけの花」みたいな
気持ちだったはずなのに、
「世界中どこにでもある花」に
なってしまうような気になる。
それぞれに、それぞれ違う
絵文字を使おうと思っても
有限だから、むりなはなし。
*
でもインスタを見ていると
返信が上手な方もいるんです。
たとえば、こちらが
「すてきですね!」とコメントすると、
2、3行の返信が返ってくる。
追加情報とか、裏話とか、
横道にそれた話題とか、コメントをしてくれた
あなたについて、とか、
気持ちが文字の量(情報の量)として
しっかり還元されているように感じる。
そういうのをもらえると
大なり小なり、うれしい。
一概にたくさんの言葉が
もらえた方がうれしい、とは
言えるわけじゃけれど、
でも、そう感じるシーンも多い。
*
ありがとう、という「気持ち」は
いつでもあるんです。
だけど、それに対して、
適切な情報量で打ち返すことができないと
どうしても、伝えきれていないかも
という不安が残ってしまう。
そう考えながら
返信が上手な方をみて気が付いたのは、
この人には
「思う癖」がついているんだろうな、と。
コメントをしてくれた相手が
どんな人なんだろう?
と思う癖が。
どういう気持ちでコメントを
くれたんだろう?
と想像する癖が。
それに対して、
たぶん、こうなんじゃないかと
仮説を立てる(妄想する)癖が。
そういう癖がないぼくには、
時々、コメントがただの文字の並びにしか
見えないことがある。
だから、どう返信したらいいか
分からなくなる。
そんなわけで、ちょっとずつ
思う癖をつけてみよう。
2021/04/13