Instagramにてライフワークであるイラストを公開中.

気持ちが「情報量」だとしたら

インスタグラムをしていて
発見したのは、
自分の「返信の語彙力」のなさ。

これには困る。

コメントを頂くと、うれしくて、
ついスマホごしに両手を合わせて
ぐっと目を閉じてしまう。

「いや~、まじで、
ありがとうございます!」
っていう気分で、
その気持ちが丸ごと伝われば
いいんだけど、

返信は文字で表現しないと
伝わらないので、とりあえず、
「ありがとうございます」と
打ってみる。

でもそれだけだと
不思議なもので、表現したいだけの
ありがとうの「感じ」が出ない。

コメントの返信バリエーションが
「ありがとうございます」だらけに
なってくると余計に
価値が感じられなくなる。

なので、ありがとう、に続く言葉を
探そうとするんだけど、
なかなか見つからない。

えっと、この気持ちをどう言葉に
置き変えたらいいんだろう?
考え出すと、時間だけが過ぎていく。

1分くらいで返信しようとしていたのに
気が付いたら、30分くらい経っていた
なんてことが少なくない。

そこで絵文字を活用することに
なるんだけど、
これにもすぐに限界を感じる。

目がハートになっているのは、
使う人を選んじゃうし、
あ、目が星のもあるんだ!と
多用していると、
「世界に一つだけの花」みたいな
気持ちだったはずなのに、
「世界中どこにでもある花」に
なってしまうような気になる。

それぞれに、それぞれ違う
絵文字を使おうと思っても
有限だから、むりなはなし。

でもインスタを見ていると
返信が上手な方もいるんです。

たとえば、こちらが
「すてきですね!」とコメントすると、
2、3行の返信が返ってくる。

追加情報とか、裏話とか、
横道にそれた話題とか、コメントをしてくれた
あなたについて、とか、
気持ちが文字の量(情報の量)として
しっかり還元されているように感じる。

そういうのをもらえると
大なり小なり、うれしい。

一概にたくさんの言葉が
もらえた方がうれしい、とは
言えるわけじゃけれど、
でも、そう感じるシーンも多い。

ありがとう、という「気持ち」は
いつでもあるんです。
だけど、それに対して、
適切な情報量で打ち返すことができないと
どうしても、伝えきれていないかも
という不安が残ってしまう。

そう考えながら
返信が上手な方をみて気が付いたのは、
この人には
「思う癖」がついているんだろうな、と。

コメントをしてくれた相手が
どんな人なんだろう?
と思う癖が。

どういう気持ちでコメントを
くれたんだろう?
と想像する癖が。

それに対して、
たぶん、こうなんじゃないかと
仮説を立てる(妄想する)癖が。

そういう癖がないぼくには、
時々、コメントがただの文字の並びにしか
見えないことがある。

だから、どう返信したらいいか
分からなくなる。

そんなわけで、ちょっとずつ
思う癖をつけてみよう。

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