2022.05.07

栓をゆるめて

中学から高校まで陸上部で、
ほとんど毎日走りながら
よくこんなことを思っていました。

「毎日走ってようやく
体力がキープできるのに、
走っていない人たちって
よく平気でいられるよなあ」と。
すこし揶揄をこめて。

…

当時のそのつぶやきが、
いまになって自分自身につきささって
くるのですが…
もう、とにかく運動していなくて。

部屋でじっとしている時間が
長いので、
その蓄積が見えないなにかとなって
どよどよと体にまとわりついてくる感じ。

ときほぐそうとして、
ストレッチや散歩を
取り入れてみているものの、
ぬぐい切れない感覚が残るんですよね。

*

そんなとき
「声出してる?」と
ヨガのトレーナーをしている
家族からいわれて。
あ、声ね!と、気が付きました。

たしかに、しゃべってない。

かつて実家にいたころは
割と音が漏れない家だったので、
よく大声で歌ったり、ひとりごとを
大音量で発していたよなあ、と思い出し。

うれしいときや怒ったときに
狂ったように発散する子どものような、
そういう感覚、忘れていたのかも…
という思いが頭をもたげてきました。

*

いまや隣人に気をつかって
歌ったりせず、
「身内にしか聞かれてはいけない変な声」
とかも、出さないように暮らすことが
普通になっていて。

まるで自分自身に
ぎゅっと
栓をしていたような。

*

全然話が飛ぶのですけど。

最近、「本日の絵 皆川明挿画集」を
眺めているんですが、
絵の描き方が、それこそ「栓をゆるめて」
描いているように感じるんです。

まったくの白紙を前にして、
自由に描いていいよ、と言われたら、
ぼくはまず頭で考えはじめちゃいそう。

いきなり手を動かしてみる
ということが恐ろしくてできない。

似顔絵を描いていてよく感じるのも
そういうところで、
しっかり描けば描くほど、
栓をかたく締めてしまっている
という気がしてくるんですよね。

完全にすっぽんと抜いてしまうと、
それはそれでバランスが崩れるので、
いつもの7パーセントくらい、
抑制の栓をゆるめるイメージで
絵を描いてみよう。

あ、
あと、声もね。

いまはそんな気分。