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机上の子ども時代

自分の作ったものって、
自分でもよくわからないことが多い。
 
動機とか、意図とか、思想とか、
そういうものを早急に言葉として
求められる事がある。
 
学生のころから思うけど、
そういう安直な質問をするひとって
なんてうざったいんだろう。
 
「そういう人には、
想像しろ!って言いたい。
違ったら違うっていうから。」
と友人に愚痴めいていたら
それは怠け者の発想だよねと一蹴された。
 
でも、作った後に訊ねられても
もう応えるには手遅れなんだと思う。
 
たぶん、作りはじめの頃だったら
今よりも心構えがあったに違いない。
「こんなのを作るぞー」っていう。
 

 
でも、それはその時に必要だったから
そう感じていたけれど、
たとえば、
ロケットのエンジンみたいに、
打ち上げ用の補助エンジンが一定の地点を
越えた辺りで切り離しされるように、
もう必要がないものは海に落ちていきました、
というふうに考えてしまう。
 
それでいまは第2エンジンとか、
第3エンジンとか、また別の推進力で
やってます。
だから、昔のことを思いかえしても、
それはもう実感としてしゃべることが
できないかもしれない、云々。
 
「だからね、なにかを質問されたときに、
極端にいえば、小さい頃はどういう子だったの
みたいなSF的な質問には、当時は
きっといろんな切り替え路線があったはず
なのに、なるべくして成ったという、
もう単線列車的の道筋でしか語れないし、
それが本当に実感に基づいているか、
というとなんだか違う気がしてしまう」
 
なんてことを先の友人にしゃべると、
そんなのただの言い訳でしょう、
とやはりはねのけられてしまった。
 
今まで作ったじぶんの作品をまとめて、
こんどはどんなものを作ろうかと
考えようとすると、
これまでと今の自分と比べて、
どうだったか、どうしたいかを悩む。
 

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