本当の意見
自分の考えは、信用ならない。
たいてい迷っているから。
コンビニで飲み物を買うにしても、
コーヒーか、炭酸か、それとも
鉄分とか入ってるフルーツジュースに
しようか。
ええい、決められん。お茶でよし。
と決断しても、お茶にも、
生茶、伊右衛門、おーいお茶、
烏龍茶、etc…などある。
前に生茶飲んだから、伊右衛門にでいいか。
と思うと、そこにはさらに、
濃い伊右衛門と普通の伊右衛門がある。
選択肢は終わらない。
そこでなにが起こるかと言うと、
「ま、なんでもいいや」現象だ。
なんとなく、なんでもいいんだけど、
ま、それで。
なにか大事なことを決めるときも、
つい、そういうクセがついて
「なんとなく」決めてしまう事がある。
そうなると、
自分の意見が信用ならなくなる。
本当にそう望んでいたのか。
もっと最善の選択があったのでは?
だから心の底から求めている
声みたいなモノに憧れる。
必然性のある要望というか。
*
そのかわり、というか、
へんなことを変わりに想像する。
たとえば、靴が話しかけてくる。
とか。
出掛けに途中まで靴を履いた所で、
「おれを履いてけ」という。
ぼくが顔をあげて
「ジョギング用の靴じゃないか」
と言い返すと、
「いいから、履いてけ」
という。
そんなに言うならそうしよう。
そうしよう、と思って
そうしたんだから
なんとなくこころよい。
それから、神社の境内にある
大きな樹にも、相談したりする。
すると、結構的を得た、
お小言も、励ましもしてくれる。
それこそ、なんとなくの答えでなく
本当のことを言っている気がする。
自分のかわりに、だれかのつもりに
なって話すと、
なんか本当らしい気分を
深層心理というのか
呼び寄せられたようなことが
たまにある。
2017/07/29