時代は「応援」
なんだったかの本で、
親から子どもへの「勉強しなさい」が
子が親から離れていく要因となる、
みたいなことが書いてあった。
よくある話だと思ったが、
その理由に、
なるほどと思った記憶がある。
—
親は子どものためと心から思って
そう言っているが、
子どもにしたら、
全然「じぶんのため」とは思えない。
むしろ、親が自分自身の都合で
言っているとしか思えない。
そちらの価値観を、
ぼくらに押し付けるな、という
作用反作用の力が働いている…。
—
みたいことが、本に書いてあった。
*
似た話で思い付いたのは、
「がんばれ」問題。
数年前に「がんばれ」に対して
嫌悪を抱く人がいたっていう。
がんばれって、言っている人は、
心の底から言っているんだけど
聞いた人は、
同じ立場の人から「一緒にがんばろう」って
言われるならまだしも、
なんだかよく分かんない人からの
「がんばれ」は、
どうも、うさんくさいとしか思えない。
応援って難しい。
「励ましたいあなた」の前に
「応援したい自分」が見え隠れして
しまうようだ。
素直に気もちを伝えるのって難しい。
*
でも、ぼくは思った。
そういう時に、言われたいのは、
本音の「がんばれ」じゃなくて、
本音の「あなたが好き」。
言葉にして言われなくてもよくて、
そう思っていることが
分かれば嬉しい。
ぼくだったら、
だれにでもそう思われたい。
コンビニの店員さんとか、
いきつけの美容師さんとか、
歯医者さんとか、
電車でとなりに座った人にでも
思われたい、
という気持ちがある。
(ヤバいと思われるといけないので
人には言わないけど。)
*
東映アニメの「長靴をはいた猫」(1969)
を見て、本筋とは関係ないけど、
あれを作った時代は、
同じ境遇の人たちが一緒に力を合わせて
自分たちの理念を形にするんだ
という気風があった。ように思う。
一致団結の時代だったんじゃないかな。
一方、今や個の活躍が蠢きだした、
いわば孤独の時代。
SNSのいいね!があれだけ
肥大しているのをみても分かるように、
「応援が必要」な風がふいている。
いいね!がほしい。
応援がほしい!
好きと言われたい。
応援は「がんばれ」じゃなくて、
「スキ」や「like」なんだろうな。
2018/03/25