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時代は「応援」

なんだったかの本で、
親から子どもへの「勉強しなさい」が
子が親から離れていく要因となる、
みたいなことが書いてあった。
 
よくある話だと思ったが、
その理由に、
なるほどと思った記憶がある。
 

親は子どものためと心から思って
そう言っているが、
子どもにしたら、
全然「じぶんのため」とは思えない。
 
むしろ、親が自分自身の都合で
言っているとしか思えない。
 
そちらの価値観を、
ぼくらに押し付けるな、という
作用反作用の力が働いている…。

 
みたいことが、本に書いてあった。
 

 
似た話で思い付いたのは、
「がんばれ」問題。
 
数年前に「がんばれ」に対して
嫌悪を抱く人がいたっていう。
 
がんばれって、言っている人は、
心の底から言っているんだけど
聞いた人は、
同じ立場の人から「一緒にがんばろう」って
言われるならまだしも、
なんだかよく分かんない人からの
「がんばれ」は、
どうも、うさんくさいとしか思えない。
 
応援って難しい。
「励ましたいあなた」の前に
「応援したい自分」が見え隠れして
しまうようだ。
 
素直に気もちを伝えるのって難しい。
 

 
でも、ぼくは思った。
 
そういう時に、言われたいのは、
本音の「がんばれ」じゃなくて、
本音の「あなたが好き」。
 
言葉にして言われなくてもよくて、
そう思っていることが
分かれば嬉しい。
 
ぼくだったら、
だれにでもそう思われたい。
 
コンビニの店員さんとか、
いきつけの美容師さんとか、
歯医者さんとか、
電車でとなりに座った人にでも
思われたい、
という気持ちがある。
(ヤバいと思われるといけないので
人には言わないけど。)
 

 
東映アニメの「長靴をはいた猫」(1969)
を見て、本筋とは関係ないけど、
あれを作った時代は、
同じ境遇の人たちが一緒に力を合わせて
自分たちの理念を形にするんだ
という気風があった。ように思う。
 
一致団結の時代だったんじゃないかな。
 
一方、今や個の活躍が蠢きだした、
いわば孤独の時代。
SNSのいいね!があれだけ
肥大しているのをみても分かるように、
「応援が必要」な風がふいている。
 
いいね!がほしい。
応援がほしい!
好きと言われたい。
 
応援は「がんばれ」じゃなくて、
「スキ」や「like」なんだろうな。
 

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