旅をする理由について
少し遠出して、
山間に行ってきた。
そして帰ってきた。
お土産を買うなんてことも
しないくらいの短くて小さい旅。
だけど、だからといって、
帰ってきたときに
なにもないと、困る。
たとえば、この旅行で
自分が見つけた面白いもの、
考えたこと、発見その他を
書きとめようとしたとき、
とくになにも見当たらない。
これは困る。
そういうことが、ぼくにはある。
桜を見に行っても、
紅葉を見に行っても、
「ああ、うん。」
という感じの他に、特に感想を
もてない。
いろいろ、行って、見て、
きれいだな、と思う。
百歩譲って、その少しの間に、
何かに思いを馳せたとしよう。
が、それが、あとで、
どういうものか分からない。
よく整理のつかない気持ちとなる。
道を歩いていて、
いい形のなにかを拾ったはいいけど
それが何に使うものか分からなくて、
結局そのあたりにほったらかしに
なってしまうような。
それを「あそび」というなら、
終えたら終わり。目的はもたない。
「行った。
そこで、楽しく過ごせた。」
で、いいはずではあるけれど。
なにも残らなければ
旅行に行ったって、
どうもこうもない、という気分になる。
*
そこに意味付けをしたがるのは、
大人であるがゆえの癖だと思う。
せっかく時間とすこしのお金をかけて
行くのであるから、
得るものはあった方がいい。
たとえるなら、神社にいくなら、
眺めるだけでなくて、
お参りして、おみくじも引いて帰ろう、
という魂胆がぼくにはある。
お参りをするときに、
特になにも感じなくても、
おみくじを引けば
(たとえ凶を引いたとしても)
旅の爪痕を残せた、とうれしくなる。
*
小学校では、林間学校のあとに
作文を書かされる。
その旅行があなたにとって、
どんな意味があったのか、
意味付けをし、確認をするための
大事な作業である。
しかし、いまのぼくにどんなことが
かけるだろうか。
「ぼくは、景色をみた。
見たが、それがどんなものか、
と言われても、頭に具体的な風景を
思い浮かべて、ああだったな
と思うことはあっても、
作文には、とてもかけない。」
と書くかもしれない。
*
「変わりたい。」
遠くへ出かけるとき、
こう思っているのかもしれない。
帰ってきて、まったく同じ自分では
困る。
なにか得るものが欲しい。
帰ってきたときには、別の考えや、
気持ちになっていたい。
そうでなかったら、旅をする理由とは
いったいなんなんだろう。
と思ってしまう。
そう思うことが、良いことか悪いことか、
分からないが、
したいと、つい思っている、
とだけは言える。
2017/11/22