散歩禅のすすめ
昔のひとは、
よく旅をしたんだろうな、
と思う。
たとえば、坂本龍馬は短い生涯で、
4万キロ以上も移動したんだって。
徒歩と船が主な手段だったらしいけど、
江戸から大阪まで10日以上かかるらしい。
移動時間って、ある意味、待ち時間。
その間、何をしていたんだろう?
途中途中の景色みたり、
現地の人と話したりもしたろうけど
考える時間、
自分自身を整理する瞑想の時間も
たくさんあったんだろうなと
想像する。
いまって、油断すると、
そういう瞑想するような時間が
とりにくくなっている。
そもそも「なんにもない」時間が、
作りにくくなっているし。
ぼく自身の場合は、
仕事をしている時間よりも、
散歩をしている方が、
自分のほんとうに大事にしている
ことについて考えたり、
整理する時間になるから、
なるべく歩く時間を作りたいと思う。
それに、この作文を書くのも、
大げさに例えるなら、
座禅を組んでいるような時間だし、
お祈りをささげているような
乱れた気持ちを安定させる時間。
(なので7日以上さぼると、
気持ちが低気圧になります。)
「お寺の修行では、
1に掃除、2に掃除、
3,4はなくて、5に掃除」
といったお坊さんが
いたんだけど、
ぼくにとっては、
散歩が気持ちの掃除、考えの整頓。
*
ということで最近は、
散歩しながら、空気のことに
思いを寄せるのがたのしみ。
なぜって、空気をみつめていると、
こころも軽くなる気がするから。
それは「じぶん」という呪縛からの
解放なんじゃないかなと思う。
座禅も我を忘れることっていうし、
空気は禅の思想に近いのかもしれない。
細胞レベルでは、
自分は常に更新されていて
3週間で物質的には、まったく別の
自分になっているんだけど、
「わたしがわたしである」は、
変わらない。
だから、一度体験した失敗も、
心苦しい今の状況があると思っていると、
一晩寝ても、明日も、ある。
明後日も、ある。
ずっと同じ自分でいるというのは、
負の思いを、遺産として永久に登録
するようなもの。
(良い体験は即遺産登録するけど)
すると、本来いまするべきことに対して
乱れた気分になってうっとうしい。
*
一方で、風は
温度に、気圧に、水蒸気の動きに、
ものの動きに、従順にうごく。
ちいさい動物が息をすれば、
その体に宿り、
植物が光合成すれば、
葉をひとめぐりする。
冷えた朝の丸まった水滴に
溶けては、匂いといっしょに
蒸発し、朝もやの風景を作る。
空気はいつでも、
すなおに、無駄なく、働いている。
自分の単独の力で動くというより、
周りの影響によって。
…
もうちょっと書きたいけど、
次回に。
2020/09/12