散歩好きのことば
通常、ことばは「わかるもの」と
思って読むもの。
理屈は通ってしかるべきもの。
だけど、個人的な
狭い感度で話をすると、
理屈や意味というよりも、
単語からうける印象だけで、
ことばを眺めるのが
好きだったりする。
*
これは風景でも似たようなことが
あるように思うのだけど、
たとえば、ぼくは
松の木がとても好きで、
散歩中に松があると
急にまわりの風景が懐かしいような、
うれしいような気分でみえてくる。
松をみると少し古風な感じというか、
向こうに海があるんじゃないか、とか
想像がふくらんでうれしくなる。
あえてことばにするとそんな感じ。
ことばをみて、想像が膨らむ人は、
視覚と想像が接続しやすいのだと思う。
散歩でも良い景色を勝手に想像して
みているに違いないと思っている。
本読み好きは、散歩好き。だろうと。
*
そういう、「意味ではない
ことばの印象」をたよりに
575を作っていた時期があった。
こんなもの。
雨ふれば夏大根もすりおろし
花まみれ喫茶店から香蒸気
湿っ風夜空に灯るアルコール
一列の小さな窓にすずめ顔
湯気満ちて発動汽船すべる風呂
水力で音をならせば夏の色
草かげに相似の姉妹ほほえんで
日曜の食堂にある魔法瓶
封筒のなかでかすかな虫の音
笑ったらすぐにくずれる合唱団
湯気がたつ朝霧のなかヨーグルト
ヌードルは茹で過ぎちゃった麺のこと
新緑に酸素だらけの苔の雨
庭先でふたり模範の蝶結び
啜り泣きおやすみなさいハムサンド
殴られてまばらの前歯うれしそう
好きな人は少ないと思うが、
ぼくはこういうのいいなと思う。
2017/07/10