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手の環世界

お味噌汁を作ろうと思って、
鍋に水を入れて火にかけ、
いつも使う顆粒出汁を取ろうと
棚をあける。
 
四角い紙製のパッケージを見つけて、
そこに手を入れて探ると、
残りが少ないようで、
小分け袋がなかなか指に触れない。
 
そこで、奥の方まで
腕をつっこんでみた。
 
…すると、どうだろう。
妙に気持ちが落ち着くではないか。
 
棚のはじっこにある、出汁の箱。
その隅を指さきで撫でるように
はわせていると、
まるで、体全体が
ちいさな箱の中に入って、
体育座りをしているような気持ちになる。
 

 
掌だけの感覚が、ときどき、
体全体で体験しているような
錯覚を起こすことがある。
 
冬に、お湯で洗い物をしていると、
お風呂に入っているかのごとく
ぽっとした気分になる。とか。
 
満員バスのなかで、財布をさがそうと、
前にしょったリュックに
手をつっこむときとか。
 
巨大なアスレチックで、
クライマーになったような気分で
掌を下へ、下へと、おろしていく。
 
とか。

 
あと、すこし話は変わるけど、
そして、
あまり人にはいいたくない話
なんだけど、
 
ぼくは、カフェなどでお茶している時、
トイレに入ると、必ず鏡に向かって
変顔をすることにしている。
 
こうすると、
緊張がほぐれるからだ。
 
(だがしかし、
けっして、想像しないでほしい。
ぼくが「ちょっと、お手洗い…」
と言って、トイレに向かった際に、
今頃あいつ、変顔してるんだよなあ、
とは…。)
 

 
これ、じつは、トイレでの変顔を
しなくても良い方法がある。
 
代用効果として、
やはり掌の感覚が有効なのだ…。
 
緊張するようなとき、
机の下で、
あるいはポケットのなかで、
…つまり人の見えないところで
指をうにうに、ばたばたさせる。
 
公の場にいるのに、
自分一人しかない空間が
掌の周りに生み出される安心感。
 
「人には、それぞれ、
心を癒す方法を持っている。」
とは、映画「アメリ」で、もと駅員だった
おじいちゃんの名言だけど、
 
ぼくの場合は、
人の目に触れないところで、
自由に振る舞うこと。
 
それを、手の感覚で補うことが
可能。。
 
手の感覚の話っていうのを
もっと、追って観察したい。

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