手の環世界
お味噌汁を作ろうと思って、
鍋に水を入れて火にかけ、
いつも使う顆粒出汁を取ろうと
棚をあける。
四角い紙製のパッケージを見つけて、
そこに手を入れて探ると、
残りが少ないようで、
小分け袋がなかなか指に触れない。
そこで、奥の方まで
腕をつっこんでみた。
…すると、どうだろう。
妙に気持ちが落ち着くではないか。
棚のはじっこにある、出汁の箱。
その隅を指さきで撫でるように
はわせていると、
まるで、体全体が
ちいさな箱の中に入って、
体育座りをしているような気持ちになる。
*
掌だけの感覚が、ときどき、
体全体で体験しているような
錯覚を起こすことがある。
冬に、お湯で洗い物をしていると、
お風呂に入っているかのごとく
ぽっとした気分になる。とか。
満員バスのなかで、財布をさがそうと、
前にしょったリュックに
手をつっこむときとか。
巨大なアスレチックで、
クライマーになったような気分で
掌を下へ、下へと、おろしていく。
とか。
*
あと、すこし話は変わるけど、
そして、
あまり人にはいいたくない話
なんだけど、
ぼくは、カフェなどでお茶している時、
トイレに入ると、必ず鏡に向かって
変顔をすることにしている。
こうすると、
緊張がほぐれるからだ。
(だがしかし、
けっして、想像しないでほしい。
ぼくが「ちょっと、お手洗い…」
と言って、トイレに向かった際に、
今頃あいつ、変顔してるんだよなあ、
とは…。)
*
これ、じつは、トイレでの変顔を
しなくても良い方法がある。
代用効果として、
やはり掌の感覚が有効なのだ…。
緊張するようなとき、
机の下で、
あるいはポケットのなかで、
…つまり人の見えないところで
指をうにうに、ばたばたさせる。
公の場にいるのに、
自分一人しかない空間が
掌の周りに生み出される安心感。
「人には、それぞれ、
心を癒す方法を持っている。」
とは、映画「アメリ」で、もと駅員だった
おじいちゃんの名言だけど、
ぼくの場合は、
人の目に触れないところで、
自由に振る舞うこと。
それを、手の感覚で補うことが
可能。。
手の感覚の話っていうのを
もっと、追って観察したい。
2018/10/12