想像力の跳躍台
むかしから、おぼろげに思っていたことが
ありまして。
どんなことかというと、
飼っている猫が
ごはんを食べているのを見ながら、
「もし、自分が猫だったら、
このごはんって、お茶碗3杯分くらいの
ボリュームがあるんじゃないか」
と思ったり。
はたまた、
レゴブロックで作った飛行機を
手でとばしながら、
「もしも、本当に自分がこの飛行機の
操縦席に乗っていたら
この本棚は、まるで山岳地帯の崖の
ようだな~」と思ったり。
自分の大きさを、
他のものと「入れ替えた」と仮定してみる。
その時に、
どんな感覚なのかを想像するのが
子どものころの密かなたのしみでした。
*
今になって、その頃のことを
思い返してみると、
こういうことを「アナロジー」と
いうのかもなあと思いました。
「アナロジー」ってなにかというと
ザックリいうと、類推するということで、
もっとザックリいえば、
「なぞらえる」ということです。
分かりやすい例でいうと、
東京ディズニーランドの広さは
46.5 haだと言われていますが、
全然ピンとこない。
でも、
ディズニーランドは
東京ドーム約11個分の大きさです。
というと、なんとなくでも、
イメージが湧きますよね。
何かを知るために、
他のものになぞらえ、類推しやすくする、
ということが、アナロジーという考え方の
ようです。
*
たとえば、
もし自分がスカイツリーだったら、
人間の大きさは米粒よりちいさいのかも。
自分の肩のあたりで、
ミリ単位の人間たちが見物しているのを
想像してみたり。
もっと飛躍させて、
自分が地球だったら
月は30メートルくらい離れた場所にある
グレープフルーツくらいの大きさかな、
とか。
(…暗闇で体育座りした自分の
30mくらい外周をグレープフルーツが
くるくるまわり続けている。
自分も、無言でくるくる自転している。
この様子を想像すると…
なんてシュールなんだろう、
と思わず笑っちゃいます。
なんの意味もなさそうな動きを
何億年と続けているのだけど、
これが現実とされているし、
古代の人はそういう動きを
ものすごく神秘的にとらえていた
と思うと、人間の想像力って
おもしろいなあと思います。)
*
ともかく、
自分の体でなぞらえることで
大きさがより実感に近づくのが
おもしろいなと思います。
モノの大きさをまた別の視点から
捉えてみると、
ぼんやりしていた感覚が、
急におもしろく(あるいは分かりやすく)
感じ始めてくる現象があると思います。
主観じゃなくて客観的に見ることで
想像力を飛躍させることができそうです。
「自分が人間である」という
当たり前となった慣れや常識によって
想像がしにくいこともあります。
実感を飛躍させるために、
こういうアナロジーな視点で
あそんでみることは
けっこうたのしいです。
2021/07/26