思い込みの世界
図書館で予約していた本があって、
早く読みたかったのですが、
日中は別の用で行けず。
夜、暗くなってから、
ようやくキリがついたので、
自転車に乗って、パッと行ってこようと。
*
雨がふりそうな雰囲気もあり
いそいで走らせていたら、
向こうから、ライトをつけた車がきた。
ぱっと光がこちらにあたって、
おやっと思ったんです。
ライトの強い光に反射して、
かすかに雨粒が見えたんです。
そこで、あ、もう降っているんだ!
と気が付きました。
*
見えておらず、かつ感じもしなければ、
「ない」ということなっていたけど
ほんとはあったんだ!
…という気づきって、
ときどき、ありますよね。
分かりやすい例だと、
朝起きて、カーテンを開けて
伸びをして深呼吸していると、
ひざしに反射したホコリが
きらきらと自分のまわりに
大量にうかんでいた。とか。
見えていなければ
朝のすがすがしい空気なのですが、
そこにホコリがあると思うと、
ちょっとだけ「うっ」と息を
止めたくなったり。
*
逆のパターンでは、
絵を描いているとき。
いつもは朝や日中の光のきれいなときに
描くのですが、
夜、ふつうの電灯のもとで
絵を描くと、
色が見えにくくなって焦ります。
たとえば、太陽のもとで塗る肌色と
電灯のもとで塗る肌色が、別の色に見えたり、
色と色の差が分かりにくくなります。
環境が変わると、こんなに
見え方って変わっちゃうのかと。
*
そう思うと、ぼくたちって、
見える、見えない(感じる、感じない)に
左右されて生きているんだな、
ということをしみじみ感じます。
五感で感じられなかったら、
「そこにはなにもない」と
思ってしまう。
でも、それは
人間のシステム上で無視をしている、
というだけで、本当はなにかがある。
電波も、紫外線や赤外線も、
気圧とか、太陽や、月からの引力などなど、
上げれば枚挙にいとまがないのかも。
さいわい、知識としてあるから、
少なくとも、それらが存在する、
とは知っている。
でも実は、もっと
感じられないなにかに満ちている
という可能性もありますよね。
でも、実感できるかと言われると
できない。
なにも感じなければ、
なにもない、と思う。
*
つまり、なにを感じているかって
自分がなにを見ているか、に
かなり影響を受けているんだなと。
実際がどうかというより、
自分の思い込みで
全てを決めているという気もしてきます。
「人」という小さなのぞきあなから
見ていることが全てだと思って、
気分や気持ちが作られている。
…本当はいろんなことが
大したことじゃないんじゃないか、
と思ったりもしています。
2021/07/08