思い出はネットに載ってない
分からないことがあれば、
ネット検索で大抵のことは分かります。
冷蔵庫に残っている具材で、
「白菜 大根 たまご」とかで検索すると、
いろんなレシピがパーッと出て来ますし、
植木を剪定したいのだけど、
どうやって切ったら
うまくカットできるのかな、とか
台湾料理のメニューにある
鴛鴦茶ってなに?とか。
…こうなってくると、
もう出てこない情報など
ない気がしてきますよね。
ネットがない時代は、
人づての知恵や記憶っていうのが、
大切だったんだろうけど、
そのかわりがネットになった今は
「記憶」という能力を
意識的に使っていない気がして
ちょっと大丈夫かな、と思っています。
*
しだいにエスカレートしていくと、
あれ、母方のおばあちゃんの誕生日って
いつだっけ?
親戚がいっこ前に住んでいた、
今は取り壊された家の雰囲気って
どんなんだっけ?
という、ネットに上がっているはずもない
プライベートな思い出さえも
つい、調べてしまったり。
もちろん載っているはずがないんだけど。
ネットに載っていなくて、
自分(あるいは限られた親類)の
記憶にしかないことなんだと
思うと、すーっと寒気がするというか
心もとない気分に襲われる。
*
以前書いた「ことばけ」の絵本を
具体的に考えていく時のこと。
おじいちゃんちにお泊りに行った時、
まず、どの部屋でなにをして、
どんなことをして遊ぶんだろう?と
思って、こともあろうか、
ぼくはネットで検索し始めました。
「おじいちゃんち お泊り 思い出」
みたいな検索で。
ところが、こちらが望むような
情報はほとんどなくて、
うーん、こまったなあ、と。
そのとき、馬鹿みたいに簡単な
解決策を思いついたんです。
自分はどうよ。と。
あ、そうか、ぼく自身の思い出を
忘れていたよ。と。
*
一緒に住んでいない方の、
めったに会わないおじいちゃんちに
行った時のことを思い出してみよう。
家の匂いも、その家独特の品性とか、
なんとなく緊張して
どぎまぎしていたような感じ。
おじいちゃんに手品を教えてもらったり、
庭で、「くろ」という
平安時代のお化粧みたいな顔をした犬と
あそんだり、
(見たいけど「くろ」はネット検索では
出てこない…汗)
おばあちゃんが大量のお菓子を
持ってきてくれたり、
なにか縫い物している横で、
ただただ漫然とぼんやりしたり、
スーパーに買い物にいったら、
好きなものを買ってあげると言われたり。
…
*
自分の中から、
なにも浮かんでこないような気がする時。
それって、オリジナルの記憶のことを
見捨ててたんじゃない?
と。
ネットに載っていない記憶って
けっこう灯台下暗しだなあ。
今の子たちは、結構デジタルデータとして
SNSがアルバムに代わっているんだろうけど
人生はSNSなどで撮った瞬間「だけ」で
構成されているわけはなく、
やっぱり、記憶にしかない思い出の
割り合いの方が大きい気がします。
2021/05/17