差異の感応
車に乗るとき、窓を閉めて冷房を
少し効かせます。
暑くも、涼しくもない
ちょうど良い温度で止めて
それを保とうとするんだけど、
途中でなんとなく、窓を開けたいな
という気持ちになったりする。
4つの開くボタンを長押しして
全開にすると
気圧がぶわーって変わったみたいに
湿った土と草の匂いが
飛び込んでくる。
大袈裟にいえば、全身の血行が
促進されたように、じわじわした
気分になってうれしくなったのでした。
小学校の頃、マンガで学ぼう、
という類いの科学の本を読んでいたら
こんな内容があったのを思い出した。
①「ぬるま湯につかってから
プールの水に入る」のと、
②「きんきんに冷えた水につかってから
プールの水に入る」のとでは、
同じプールの水の温度でも
感じ方が変わるのだと言います。
①では、つめたーい!と思う。
②では、ぬるーい!と思う。
というようです。
言われてみると、まあそうだろうな、
と思うけれど、
さっきの車での体験も
同じようなことだったんだなあ。
ずっと外にいると分からないけど
違う状況から突然外に出ると、
不思議な快感が圧し寄せてくる。
*
これは、暑い寒いという
実際に体が感じることばかりではなくて、
気持ちのことにしても
同じことが言えそうだなと思います。
池澤夏樹「言葉の流星群」は、
宮沢賢治の詩や小説について書かれた本。
科学が明らかにしてきた
「気候や宇宙の実体」を知ることと、
文学的、宗教的なー
(くだけた言いかたをすれば、空想的な)
観点は一見離れていくように思える。
でも宮沢賢治は、科学的な事実を
知る事で彼の空想的な自然感は
損なわれず、
むしろより豊かになったようです。
こういう澄んだ本を、ぱっと
開いてみると、涼やかな、
うれしい気分がひろがります。
2013/07/31