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実はテレパシー並み?

このホームページを作るとき、
HTMLを調べながら書いたんだけど、
これがもう、うっとうしくて。

たとえば「;」がひとつ抜けてるとか、
「>」が余計に一つ多いとか、
それだけなのに、エラーがでる。

「あなたの指示が分かりません。」って。

99.9%の内容は合っているのに
なんで、分かってくれないの!
…と、ちいさなストレスを
積み重ねていくのだけど、
うまくいくと、その分
成し遂げた感があるので、
それはそれで、悪くはない。

トライ&エラーは嫌いじゃないけど、
プログラミングの言語の融通の利かなさに
頭を抱えたものでした。

コンピュータと認知を理解する
という本があって、
これはとにかく訳の分からない本、
ということで長い年月のあいだ
本棚にしまわれていたのだけど、
最近また読むと、ちょっとだけ
おもしろくて、なるほど、と
思うところがあった。

プログラミングって、
訳も分からず難しそうに見えるけど、
なにをしているかっていうと、
もともとは、言葉なんです。

人が人に、
「ちょっと額の位置ずれてない」といって
直してもらう、みたいなこと。

その場にいる「人」なら、
それで大体伝わる。

でも「コンピュータ」は人じゃない。
人じゃないと、何が違うか、というと、
状況の理解や把握能力がゼロ。

全部こちらで懇切丁寧に教えないと、
分かってくれない。

額の位置でいうなら、
まず、額ってなに?から始まる。
額はどこにある?
机の上?天井?壁?

ずれているって、なにを基準に
ずれているとあなたは思っているの?

ずれていたとして、
それをわたしに、どうしろと?

これらを具体的に伝えないと、
動いてくれない。

別な質問でも、
「いまなんじ」と質問しても、
あなたが何を言っているのか
分かりません。という。

「いまなんじ?」と、
「?」をつけて質問しないと
だめ、みたいなことがプログラミング。



融通の利かない、信じられないくらいの
バカ真面目な相手に
意見を伝えないといけない。

それも、そのはず、
コンピュータには、目も、耳も、触感も
連続した記憶もない。

コンピュータ側を少し擁護すると、

まるでたった今起きたばかりの人が、
「たいへんだ!はやくあれをもってきて!」
と急かされるようなもの。

「え?なんのこと」
まず、順を追って、の説明を要する。

キッチンでフライパンから
火があがったから、という文脈を
知っていれば、「あれ」だけで
消火器のことを連想するかもしれないけど。

と、いうことは、
ぼくたちが普段から使っている言葉って、
じつは前後の状況が、意味の要因の
かなりの部分を担っているんだなと分かる。

言葉を使いながら、言葉じゃなくて、
前後の状況や、脳内でのイメージを
見つめているような感覚。

むしろ言葉は、実像を映すための
反射「材」みたいなもの。

だから、反射させる光のない
コンピュータからしたら、
反射材だけあっても絶対に不可能。

ぼくら人間が、こともなげに
自然にしている会話が、
ものすごい才能なんじゃないか、と
思えてくる。

吉野屋で「並。」といえば、
牛丼の並が出てくるなんて、
実は、テレパシー並みに
すごい才能なんじゃないか。我々って。

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