宝物としての時間
よりたくさんの人々を裕福にしよう、
という考えや実践が
現代の生活の基盤となっている。
その実現のために
時間の効率化が図られている。
予断を許さない、
絶え間ない業務を求められる。
働いている人は、
どんな人だって忙しくてたまらない。
本当に自分のやりたいこととは
違うかもしれないけれど、
生活のために、と思う人はなおさら。
一部の人が裕福であればいいのではない、
全員が平等に、という無茶な発想が
生活の水準と需要の水準を上げている。
もう後戻りできないところまで
来てしまっている。
*
ところでピーターラビットの
作者であるビアトリクス•ポターは、
20代の頃からキノコの研究に
打ち込んでいた。
彼女は、チャールズ・マッキントッシュ
というキノコ学者のおじさんに影響を
受けたそうです。
彼はスコットランドで
郵便配達をしながら、
その道すがらで自然観察をして
研究を重ねていたといいます。
え、仕事の途中で自然観察?
そんな余裕があったのか、と思う。
こんなことを言っては
失礼かもしれないけれど、当時は
そんなにたくさんの配達が
なかったのかもしれない。
時間指定なんてのもないから、
ちょっと遅れてたとしても、
構わなかったのかもしれない。
送る方も、受け取る方も、
配達する人も、ちょうど良い具合に
ルーズで、それでバランスがとれて
いたのかもしれない。
*
効率とは無縁の場所にある
純粋な興味を大切にしている。
そういう宝物みたいな時間が
生活の中にある。
観察と洞察、それに想像力と表現。
がむしゃらに頑張ることとは
違って、愛しい気持ちのあいだは
時間がとてもゆっくりになる。
そういうしんとした時間が
ぼくは好きです。
2012/12/04