失敗したら成功…と思ってみる
だいたい日記とか、作文って
1月1日から始めるより、
何とも言えないような日から
おもむろに始める方が続く、
という気がする。
新しいメモ帳も、
最初に書いた漢字を間違えちゃって
思い切ってぐじゃぐじゃって消す方が、
前向きに「もうどうでもいいや」
という自由な気分になれる。
*
年が改まると、そんなつもりもないのに
気持ちも改めたくなってきちゃって。
そんなとき、書く内容にも、コツがある。
よく陥るのが、
「新しいことをやりたい」
「自分を変えたい」と書くこと。
これ、冷静に見ると、
ものすごいふわふわワードだよなあ。
だからといって、
具体的に「どうしよう」と考えても、
「~たい」という言い方に不安を覚える。
だって、それじゃあ結局しないもん。
上手くいかないかもしれない、とか、
どうしたらいいか分かんなくて、
二の足を踏むとか。
いろんな「しない」言い訳を作れてしまう。
だったら、こう考えよう。
恥をかこう、
失敗しよう。
つまり、
恥をかいたら成功!
失敗したら成功!
とする。
あ、これはいい。
とにかくやってみよう、
と思えるのでいい。
あくまで、やる前の心構えとしては。
具体的にはあえて書かないけど、
今年、ぼくの恥ずかしい失敗を
見届けてくれるとうれしいです。
もちろんうまくいってくれても、
よいのだけど。
*
ところで、
自己啓発的な考え方を、
ぼくは嫌いではなくて。
なぜかというと、
考え方ひとつに救われる経験が、
これまでにけっこうあったから。
考え方っていうのは、要するに
ことばのとらえ方のことなんだけど、
ことばって100%脳内イメージでしょ。
だから、ことばのとらえ方が変わると、
考え方や気分も変わる。
「ことばのとらえ方」の基盤は、
他人と共有している部分も多いけど、
その時そのタイミングの
個人的な浮動枠もある。
そこがけっこう大きくて。
立場とか環境とか外の要因じゃなくて、
個人の主観が人生を99%くらい左右している
といってもいいくらい。
たとえば、
同じ場所にいても、
汚れている方が落ち着く人と
潔癖症とでは、居心地がまるで違う。
高所恐怖症とそうでない人も。
それを「気分」というには
重いかもしれないけど、
基本的には同じことなんじゃないかと。
つらいことがあっても、
他人から見たら、大したことが
なかったり。
だったら、他人と同じような感覚で
捉える事ができたら、
どんなときも効率的に行動できそう。
…みたいな、
そんな考え方をすれば、
急に気持ちが軽くなる。
ということが、たまにあって、
それがとても快感。
「まず失敗をしよう。」
というのは、編集者の箕輪厚介さんの
言葉を借りたのだけど、
ほんと、そういうことだなあ。
2020/01/08