夢にうってつけな人
最近、夢を見ることが多い。
起きてすぐにするのは、
顔を洗いながら、
さっきまで見ていた夢を
思い出して浸ること。
この時間がここちよい。
テーマパークのことを
夢の国といったりするけど、
寝ているときに見る夢も
ぼくにとっては、
テーマパークみたいなもの。
いろんな非常識が
当たり前に起きる。
*
キャンプにきている夢。
小さいテントの中が
雨漏りして困っていたら、
急に空間が広くなって
雨漏りもなく、
ぽかぽかお風呂上りのような
いい気分になっていた、
とか。
*
おだんご頭の女の子
(4段のおだんご頭)が、
髪の毛が緑だったかと思うと、
蛍光ピンクに変色しながら、
「あんた、あたしのこと覚えてる?」
と聞いてくる。
「だれでしたっけ…?」と
戸惑っていると
「ほら、こないだ
フットボールで同じチームだった
じゃないの」という。
まじで身に覚えがなくて、
どうしようと思ったり。
*
居酒屋にふらっと
立ち寄ったらなぜか
お客さんのオーダーを聞くことになって
3つ聞いたのは覚えているんだけど、
たしかそのうちのひとつは「遠藤」
だったような。
遠藤ってなんだ?人の名前か?
それを店員さんに
大きな声で伝えたら、
苦笑された。
「そんなの大声で言われたって、
こっちだって覚えられないよ」と。
そのとたんに、ぼくも
もうオーダーの3つが思い出せなくて、
こういうときはしっかりメモしないと
と反省する。
そのあと、ステンレスの大皿に
いっぱいのごまだんごを配膳しろと
言われて、
何回かこぼしそうになりながら、
なんとかお客さんに運びおおせる。
…
ここで、とても残念なのが、
伝えきれない部分が多いということ。
「キャンプ場で」とか、
「居酒屋で」とかって言っても
いまみなさんやぼくの頭に浮かぶ
ような場所ではなくて、
もっとヘンで、奇妙な居場所感。
いい言い方じゃないけど、
トリップ感というか。
まったく別の世界へ瞬間的に
旅行してきたかのような。
夢の中の世界は、日常の暮らしとは
完全に違う。
自分も、同じ自分ではないかもしれない。
でも目が覚めると、
「いつもの自分」にもどっている。
こんなに律儀におなじ自分に
戻らなくたっていいのになあ。
と毎回思うくらい。
*
夢は現実の自分の反映だと言われるし、
夢分析などもネットで検索すると
山ほど出てくる。
しかし、
ぼくは、そうではないんじゃないか
って思う。
寝ている時間は無意識。
起きている現実が意識。
(起きていても無意識でいることも
考慮すれば)
その割合いは、
同じか、無意識の方が多いでしょ。
夢に浸っていると、
意識(現実)こそ自分の表側だ、
と思っていることがばかばかしい。
ずっと同じ自分でいると
思っている方が
不自然なんじゃないかと。
夢の中のように、常に
自分自身が変形して
とめどがない感じこそが、
本来的なのではと。
*
そう思うぼくは、夢の中の方が
向いていると思う。
そんな視点で、最近
「無思想の発見」養老 孟司(ちくま新書)を
読んでいます。
この本をもうちょっとちゃんと
読んだら、また作文を書くつもり。
…と書いて、
そうしない可能性が高いのが、
このぼく、
夢にうってつけなタイプです。
2020/08/20