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夜への指図

小さい頃は、大冒険をよくしたものだ、
という気がする。
 
学校の裏にある掘建て小屋を
隠れ家にしたり、
じぶんたちなりの遊びを作ったり、
永遠に一緒に自転車をこいで
遠くまで旅をしつづけるだろう、
と思い込んだ友人も3人くらいはいた。
 

というのは、多分気のせい。
 
どれをとっても、近所で身近で、
ささやかなものに過ぎない。
 
けれど当時の彼らにしたら、
大仕事だった。
 
なぜなら、身の回りには
あまりに多くの「知らない事」が
ひそんでいたから。
 
知らない事に直面するときの
驚きの爆発が、
高揚感を増した理由であると思う。
 

 
レイ・ブラッドベリの
「さよなら僕の夏」を読むと
それに似た気持ちが思い出される。
 
アメリカのグリーンタウンという
峡谷沿いの小さい町が舞台となっていて、
まもなく14歳になろうとするダグラス、
彼の弟のトム、おじいちゃん、
その周辺の人々の中でおこる物語。
 
自分(子供)たちを縛って未来まで
管理するものは一体なんだ、と
老人たちが表でやっているチェスの駒を
片っ端から奪ったり、
群庁舎の大時計を爆竹で破壊したり、
大人達に対して紛糾する。
 
それは時間の進行と未来の管理を
とめようする
幼児性(活発な想像力)を解放するための
子供たちの大冒険だった。
 

 
いまの自分にとっての大冒険とは
なんだろう、と考える。
 
この本のあとがきには
「驚くことの大切さ」として、
次のような文が書いてあった。
 
「夜にベッドに入るとき、
私は朝目覚めたときに自分が
なにかではっと驚くように
自分自身に指図することにしている。」
 
これは小説を発展させるための
大冒険の一つであるという。
 
…自分の知らないものと出会うために
自分自身にどんな指図をしようか、
と考えると、愉しい気分になる。
 

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