夜の空気に沈んだら
「かいじゅうたちのいるところ」を
描いたモーリス・センダックが
称賛しているオーストリアの作家
アーダルベルト・シュティフタ―。
1800年代に生きた人。
彼が小説の序章でこんなことを
書いている。
ざっくり要約すると
「雷や火山や台風など、
目に見えて大きなことに人は注目して、
自然の力って偉大だというけれど、
わたしは、そうは思わない。
風の吹くこと、空の光、春の大地の芽ばえ
星のかがやき、これらの方が
偉大に思えて、前者はむしろ小さなものと
考える。」と。
日々を動かしている地味な力の方が
すごいという。
これを人生に変換して考えると…
たった一日ものすごく頑張ったり、
おめでたいこと、うれしいことが
あったとしても、
それは実は小さいこと。
地味でも習慣として日々、
繰り返し続けることの方が偉大であると。
*
ということで、
毎朝、似顔絵を描き続けることが
小さな、そして地味なことと思いつつ
うれしい気持ちが巨大な地盤となって、
ずりずりと山を作るように気分を
もりあげているんじゃないかと
感じているこの頃です。
朝起きるのが苦ではなくなって、
ラジオ体操をして、掃除をして、
窓をあけて、植木に水をあげて、
似顔絵を描く、という日々が心地よい。
*
さあ、ここからが本題なのですが、
朝、窓を開けた時
陽ざしは斜めにさすので、
空中に舞うほこりがきらきらと見える。
窓を開けると、
足元から冷たい外の空気が
まるで水が流れこむように、
すーっと入ってくる。
一方ほこりたちの動きを見ていると、
窓の上部からつぎつぎと
外へ駆け出していく。
室内の空気の方が暖かいから、
ほこりは天井に近い方から
外へ出ていく。
床に近いほこりたちは、
むしろ部屋の中に押し戻され、
ちらばる。
*
というわけで、
朝に床のほうきがけをするときは
窓は閉めておいた方がよいでしょう。
*
部屋の中と外の空気が違う、
というのが、面白いなと思う。
いや、当たり前なんですけどね。
夜の間に、冷えた空気が
よその町から流れてきて、
あるいは高い空から降りてきて、
どんどんぼくの住んでいる町に
たまっていく。
どんどん(空気の)水位があがり
しだいに、マンションの屋上まで
完全に夜の空気にどっぷりと
沈んでしまう。
部屋の中の空気は窓を閉めているので、
そこだけまだ昼間の空気が
残っている。
空気って見えないけど、
そんなイメージをしてみると
すごくおもしろい。
今日はいい天気だなあ、と思う日に
もし空気が景色のように見えたとしたら、
ジェット気流に乗ってやってきた
初夏の地中海が降りてきて
この町を包んでいる、
といえるかもしれない。
2021/04/30