問題解決しない能力
解剖学者、脳生理学者の
三木成夫さんが、
「人間生命の誕生」という本の中で
自然に対する見方は二つある…と。
「すがた・かたち」を静観する眼と、
「しかけ・しくみ」を抽出する眼の
二種の眼で、
前者が生に満ち溢れたものとなり、
後者では生とは無縁のものとなる。
らしいです。
「すがた・かたち」としてとらえるとは、
たとえば、おひさまがほほえむ、とか、
そよ風がささやく、とか、大地がねむるとか、
海が荒れ狂うとか、
無生物さえも、人間と同じく
生命を営んでいるという眼。
一方で、
「しかけ・しくみ」は、そのままの通り、
科学な視点。
*
「すがた・かたち」の視点では、
死してなお、ひとの心に鮮やかにその
すがた・かたちが残る時、
その人間の「いのち」というものは、
まだ亡びてはいない。
ちょっと、宗教的な視点なのかな。
亡くなったあとも、古墳や、お墓として
形として残すことで、
生は続いていくという見方。
「しかけ・しくみ」の視点では
命は、生物が生きている間だけ、
と思うあまり、
からだに起こるすべての現象を
”死に抗するための闘争”とかんがえる、
つまり病めるしくみを、少しでも早く
治す方へめいめいの考えを向け直す。
どちらも切り離すことができない
宿命の一組、と三木さんは言う。
*
と同時に、文章を読んでいくと、
人間が時代が進むにつれて
「しかけ・しくみ」の方に傾倒しすぎて
いるのでは、という警鐘も読み取れます。
正直、「すがた・かたち」と
「しかけ・しくみ」の二つの考えを読んで、
「すがた・かたち」の方は、なんとなく
共感しながらも、具体的によく分からない。
感じていると思うのだけど、
自分で把握できていない。
どちらかというと、自分自身も
しらずのうちに「しかけ・しくみ」に
傾倒しているのかもしれないな、
と思う。
*
一般的に、問題解決と効率化は、
実生活に必要だということは、
自明の理という感じがするけど、
効率を図らない、
問題を解決しない。
ただ、静観している、見守る、
そこになにかを感じとっている。
という「無駄」に見える姿勢にも、
同じくらいの価値があるのだろうなと、
意識を向けてみようかと思っています。
前にも書いたけれど、
日本の静観の代表作は「枕草子」
だと思っています。
じっくり、ゆっくり、読みたい。
と思うが、なかなか読めない。
2021/07/21