受信不可だが、影響はある不思議
「生物から見た世界」(岩波文庫)
という本を久しぶりに開くと面白い。
どんな本かというと、
人の見ている世界と、
動物の見ている世界って
どう違うんだろうという本。
その中に「探索像が知覚像を破壊する」
っていうのがあって…、
これは噛みくだいていうところの、
「見てるはずなのに、気が付かない」
というやつ。
見えているのに、気が付かない。
そんなことがあるのか、
と思うかもしれないけど、
きっとあなたにもある。
*
ぼくの体験談を紹介しよう。
これは本を本屋で探しているとき。
タイトルだけ知っていて、
どんなデザインの本か知らない時、
勝手に「こんなサイズで、
こういうタイプの本の見た目だろう」
と予想していると、
全然見つからない。
検索機で調べた結果によると
この棚にあることは間違いない。
慎重に、棚の端から、端まで
じっくり眺める。
…見つからない。
はて、店員さんを呼ぼう、と。
店員さんは、あっという間に
探し出して、ぼくに手渡してくれる。
あ、こんな大きさの本だったんだ。
たしか、この辺りは見たはずなのに、
なぜ見つからなかったんだろう。。
みたいなもの。
自分の探そうとしているイメージが
実物と異なると、見つけにくくなる。
逆に、イメージが合致していれば
見つけやすくもなるんだけど。
*
さらに突き詰めると、
探しているものが、
「ない」のに「見えて」きてしまう。
ということも起きる。おばけみたいだけど。
「生物から~」の本では「魔術的環世界」
という言い方をしている。
これ、また本のたとえだけど、
川上弘美が好きだった頃があった。
古本屋の棚をぼんやりみていると、
「あ、いま、みつけた!」
と思う。
「川上弘美、あったよな」
と思って、じっくり探してみると、
「なんだ、川上未映子じゃん」
というようなことがある。
自分の頭のなかのイメージが
強すぎて、幻想を見てしまうという。
*
または、同じものなのに
人によって、違うようにとらえている。
とか。
さっきのぼくのように、
作家を見て本を探す人か、
製本の手法が面白いと思う人か、
背どり目的で売買価値で探す人か、
もしくは、状況が状況なら、
サバイバルの為に
火を燃やすための燃料として
手に取る人もあるかもしれない。
客観的に見た、ただ、そこにある本、
という以上に
様々なポテンシャルに満ちている。
この話は本だけに限らず。
*
〇あるのに、見えていない。
とか、
〇ないのに、ある、と思えちゃう。
とか、
〇見る人に適した用途で、
見えてきてしまう。
とか。
「見て感じている」って、
すごく主観的なものなんだなあ。
どれだけ客観的、と思っていても…。
ということなわけですが。。
*
そこで、気になるのは、
たとえば、(急に本のたとえから離れるけど)
なんか髪の毛が整わない、と思うと、
雨が降っていたり。
古傷がうずくとおもったら、気圧の変化が。
自分はかからないと思っていても、
ウィルスに感染するのもそうだし。
自分の主観とは、関係なく、
影響を受けることがある。
周りを主観で見ているけど、
実際に影響を受けるのは、
主観で見ているものでは
とらえきれないものだったりする。
そこと、どう付き合えばいいのか、
そこまでは
「生物から見た世界」には、
書いていない。
もう少し調べたり考えてみたい。
2020/04/05