加工アプリ的な似顔絵
似顔絵を描くとき、
毎回悩みどころがありまして。
それが、似る似ないというところ。
あんまり大げさなデフォルメ感を
誇張したくないし、
似せようと思って
写真のようなリアルなタッチになって
しまうのも、
なんかちがうなあと思うんです。
*
そもそも、
絵を描こうと思って人を見るときと
日常で人を見るときとで、
見方が変わるような気がしていまして。
絵を描こうとすると
顔の中に、描ける線をとことん
探しちゃいがちなんです。
ほうれい線とか、鼻の下の線とか、
きわどい二重とか、鼻のすじとか。
そこで、ハッと思うんです。
その人の顔を、頭のなかで
思い浮かべたときに、
本当にそんな細かい線たちが
印象に残っていたっけ?と。
そして、改めて
自分の描いた絵をみて愕然。
想像していた(もしくは実物)よりも、
か、かわいくない…じゃん。
*
ふつうに人を見ているときって、
実はかなり無意識のうちに
デフォルメして見ている気がするんです。
見たいところだけ見て、
そうでもないところは見ていない。
たしかに、その人にはうっすら
ほうれい線らしきものはあるにはあるけど、
実際には気が付いていないことが多い
思います。
*
そんなわけで、ぼくは余計なところは
描かないようにしています。。
ぱっと見の印象を大切にしたいなと
思ってのことなのだけど、
ところが、今度は
似ていないんじゃないか、という
疑念がわいてきます。
*
そんなとき、
でもさあ…と自分のなかの悪魔が
ささやきます。
ほら、人って加工アプリで
自分の顔の一部をけしたり、足したり、
かわいく変化させているわけでしょ。
いろんな自分になれる願望が
それぞれに人にはあるんだよ。
そのひとつとして、
似顔絵だってそう考えたって
いいじゃない。
ディズニー風とか、
ジブリ風の顔になれる
フィルターがあるみたいに、
「描き手の思うかわいさ」という
フィルターだとおもえば…
似せることに固執する必要ないよ。
…そ、そうかな、
じゃあ、そういうことで。
と自分の中の天使がなんとなく
言い負かされてしまっている
今日この頃です。
2022/04/30