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信頼できる無意識

もっと時間をかけられれば…
と思うことがある。
 
例えば、移動中や、お風呂のとき、
ごはんを食べている時などにも
考えを意識して進めることができれば、
どんなに効率的だろうと思う。
 
一日の100%を「意識」に働いて
もらうことができれば、
時間が足りないなんて思うことは
ないだろうし、
あとで制限時間に首を締められる
という罰ゲームを受けなくて済む。
 
ところが、どういうわけか、
意識が働くのは、一日の10〜20%
くらいしかないような気がしている。
かの養老孟司氏も一日の四分の一は
無意識だと言っているし。
 

 
ということは、残りの80%ほどには
無意識という、まったくもって
奥深い領域がひそんでいる。
煩雑として巨大で、わからない。
そして、おもしろい。
 
どう、おもしろいのか。
ふと気がついたときに、
自分の無意識さをサンプリングする
ことに成功した。
 
電車に乗っているとき。
その日はなぜか、おしゃれな女子率が
異様に高かった。
あ、あの子かわいい!
え、反対側の子もだ。
気がついたら目の前の子も。
…。
恐らく自分のかわいさ測定器が
故障していたのだと思うが、
ひたすらそんなことを考えている。
なんで?と言われても困る。
そうなんだから、そうなんだ。
 

 
あとは
「その日の運命を左右するもの」
と言っても過言ではないが、
電車のとなりに誰が座るかを、
一生懸命お祈りしている自分がいる。
 
おじさん、だめ、おじさん、だめ!
部活帰りの高校生、だめ!酔った人だめ!
…。
一番うれしいのは、両隣にいい匂いの
お姉さんが座ることだ。
こんな日はきっといいことがある、
そう思って、そっと目を閉じる。
 
とかいうことを、無意識に考えていて、
気がついたら降りる駅を
乗り過ごしている。
 
ああ、だめだ。
また時間を無駄にしてしまった。
と、一瞬思うが、
本当に無意識の時間は
無駄なのであろうか。
 
逆に、有意義であっても、
論理的で、言葉で説明ができて、
意識の中だけで語られるものって、
あんまり信憑性を感じないことがある。
 
ビジネス書で書かれるような、
「目的意識」「コスト意識」「継続意識」
「整理術」「新しい文脈」…
こういうことが、
これからの正しく生きていく現実だ
という感覚が、どことなくあるが、
それに反発する心の方が、むしろ
自然な現実であるように思える。
 
無意識ほど実感に正直なものはない。
頭で考えていろんなつじつまを
合わせるのにつかれたら、
無意識に、意識を向けてみる。
 
あるいは、
意識的に、意識をやめてみる。
なんだか、わからんが、そう思うんだ、
ということに目を向けてみる。
 
心から感動している人に対して、
どこが?なんて説明を要求するほど
冷めるものはない。
 
「わかんねえよ!
…でも、そう思ったんだ。」
という感覚とは、
思ったより慎重に付き合う必要が
あると思う。

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