ことばのロボットいろはちゃん 更新2020/8/5

人に心はあるの?

昨日の呪術廻戦の話の続きです。

原作者の芥見下々という人は、
聞くところによると10代のとき
2011年に被災された方のようで、
きっと生死について、心について
自然の大きさについて…

ぼくには想像もできないくらいの
経験をしたんだろうなと。
(当然それだけじゃないだろうけれど)

それをしっかり感じて、
ちゃんと言葉にしてきた人なんだろうな。

さて、マンガの内容の話。

いじめられっ子の順平が、復讐について
「呪霊である真人」と話しているシーン。

順平は苦しくて心がつぶれそう。

そんなときに知性をもった妖怪の
真人が
「人に心はあるとおもう?」
と問う。まごつく順平。

真人は続ける。
「魂はある、でもそれは心じゃない。
喜怒哀楽はすべて魂の代謝によるものだ。
それを心と呼ぶにはあまりに機械的だよ」

ここで、
ぼくは、じゃあ魂と心の違いって
なんだっけ?と思うけど、いったんスルー。
人の心が機械的、というのは、
脳科学者の池谷裕二さんが
感情はただの脳の電気信号だと
言っていたのと似ているなと思う。

心って、絶対に剥がれない瞬間接着剤
みたいに、理由も分からず瞬間的に
感情に、はりついて離れない。

そんな苦しいときに、
心や感情は機械的なものだと
捉えると、少しだけ、気持ちは和らぐ。

つづけて、
「人は目に見えないものを
特別に考えすぎる。
見えるおれ(呪霊である真人)にとって、
魂は肉体と同じで、なにも特別じゃない
ただそこにあるだけだ。」

「いのちに価値や重さなんてないんだよ。
天地にとっての水のように、
いのちもただめぐるだけ。
それはおれも君もおなじ。無意味な価値。」

ほんとにそうだなとぼくも思う。
価値や重さは、本質的には平等にない。
というか、すべてに同じように
価値が「ある」と言い換えた方がいいか。

「ビギナーズマインド」という
アメリカに日本の禅を広めた
鈴木俊隆の本を読んだときと似た感覚。

ただそこにある、ここにいる、
ということだけで価値があると
認めること。
悟りをひらこうとしている人の
感性に近いなあと。

やっぱり、悩んだり、苦しい気持ちのとき、
肉体から心を解放して、
自分の体が、植物とか川の水とか、
上空の空気とか、野生のリスとか、
と本来は同じ価値なんだって
想像すると、心地は軽くなる。

「だからこそなにをしてもいい。
無関心という理想にとらわれては
いけないよ。
生きざまに一貫性なんて必要ない。
お腹が減ったら食べるように、
憎んだらころせばいい。
どう生きようと自由なんだ。」

よし、じゃあ復讐だ!
と物語は続くのだけど、
そこのつながりがさすが悪者の発想って
感じで急に乱暴…笑

見えないものを特別に考えすぎている。
というのは、そうだなあ。
感情は脳の電気信号というくらいだから、
大抵、幻覚。錯視と似たようなもの。

本当に特別に考えるべきなのは
見えるし、そこにある、けど
「見ていないもの」の方だと僕は思う。

…それはまた次の作文で。

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