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乗る、乗らない問題

恥ずかしい話なら、いくらでも出る。
苦いものに栄養があるのと同じで、
恥ずかしく思うことにも
大事な価値があるのだと思う。
 
「読まれたくない」で書いてる作文の
都合上、自分の正論を話すより、
そうでないものの方がひやひやして
読まれたときの「感じ」が出る。
 

 
かつて占いができる知り合いから
不思議な石をもらったことがあった。
それをどうというわけでもなく、
後生大事にという気分でポケットに
忍ばせておくことにしている。
 
それを「お守りだ」と思えばこそ、
効果はあるんだから。
 
ところで、数年前、友人宅に
数人で酒を飲んでいた時のこと。
プロレス技好きの男が、いきなり
ぼくに寝技をかけ始めた。
 
「やめ、やめ!」と悶えていると、
その拍子にポケットからころんと
なにかがころがった。
 
フローリングの床に水晶。
ぼくがお守りにしていたものだ。
 
自分一人で持っている分には
どうともないが、
他の人の目に触れると、奇妙で
いかがわしい雰囲気を醸し出す。
 
普通ポケットから出る物といえば
財布か、ケータイか、
ハンカチか、ガムである。
 
しかし、ぼくの場合この謎の水晶。
 
「おまえ、なにこれ…?」
と引き気味の友人たちが近寄ってくる。
急に恥ずかしくなってしまって
ろくに弁解もできなかった。ああ。。
 
だから、今ここで弁解をしようと思う。
 

 
ぼくはおまじないや占いの類に
乗るのが好きなんだ、といいたい。
 
ここで言う「乗る」というのは、
「車に乗る」のではなく、
「話に乗る」という方の乗るである。
 
サンタクロースがいると信じてみる。
幽霊や妖怪がいると信じてみる。
血液型占いを本当だと思ってみる。
 
これらは、どれも、ないもの。
サンタクロースはいわずもがな、
幽霊や妖怪も専門家の京極夏彦によれば
「ない」と明言されている。
 
ないけど、「いる」ことにすればこそ
いるような気がして、
なにやら力を発揮する。
 
たとえばね、クリスマスもそうだよ。
あの日に特別な力があるんじゃない。
クリスマスという気分にみんなが
「乗って」いるから、
成り立つ雰囲気なんです。
 
影も形もないものに、みんなだって、
乗ってるでしょう?
 
ぼくの水晶もね、その一つなんだよ。
これにね、ぼくは乗っているんです。
ね、だからこの一件は、
どうか、勘弁して見過ごしてください。

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