乗る、乗らない問題
恥ずかしい話なら、いくらでも出る。
苦いものに栄養があるのと同じで、
恥ずかしく思うことにも
大事な価値があるのだと思う。
「読まれたくない」で書いてる作文の
都合上、自分の正論を話すより、
そうでないものの方がひやひやして
読まれたときの「感じ」が出る。
*
かつて占いができる知り合いから
不思議な石をもらったことがあった。
それをどうというわけでもなく、
後生大事にという気分でポケットに
忍ばせておくことにしている。
それを「お守りだ」と思えばこそ、
効果はあるんだから。
ところで、数年前、友人宅に
数人で酒を飲んでいた時のこと。
プロレス技好きの男が、いきなり
ぼくに寝技をかけ始めた。
「やめ、やめ!」と悶えていると、
その拍子にポケットからころんと
なにかがころがった。
フローリングの床に水晶。
ぼくがお守りにしていたものだ。
自分一人で持っている分には
どうともないが、
他の人の目に触れると、奇妙で
いかがわしい雰囲気を醸し出す。
普通ポケットから出る物といえば
財布か、ケータイか、
ハンカチか、ガムである。
しかし、ぼくの場合この謎の水晶。
「おまえ、なにこれ…?」
と引き気味の友人たちが近寄ってくる。
急に恥ずかしくなってしまって
ろくに弁解もできなかった。ああ。。
だから、今ここで弁解をしようと思う。
*
ぼくはおまじないや占いの類に
乗るのが好きなんだ、といいたい。
ここで言う「乗る」というのは、
「車に乗る」のではなく、
「話に乗る」という方の乗るである。
サンタクロースがいると信じてみる。
幽霊や妖怪がいると信じてみる。
血液型占いを本当だと思ってみる。
これらは、どれも、ないもの。
サンタクロースはいわずもがな、
幽霊や妖怪も専門家の京極夏彦によれば
「ない」と明言されている。
ないけど、「いる」ことにすればこそ
いるような気がして、
なにやら力を発揮する。
たとえばね、クリスマスもそうだよ。
あの日に特別な力があるんじゃない。
クリスマスという気分にみんなが
「乗って」いるから、
成り立つ雰囲気なんです。
影も形もないものに、みんなだって、
乗ってるでしょう?
ぼくの水晶もね、その一つなんだよ。
これにね、ぼくは乗っているんです。
ね、だからこの一件は、
どうか、勘弁して見過ごしてください。
2017/05/08