上質な不安
星野源をたまに聞く。
「日常」という歌が好きなんだけど、
そのアルバムには
「営業」という曲もある。
聞いていると「不安はまるでお金だ」
という歌詞があって、
これは一体どういう意味だと
ひっかかっていた。
でも、最近分かってきた。
分かったきた、といっても、
勝手に解釈しているだけなんだけど。
ぼくなりに解釈を添えていうと、
「努力をお金で購えるとするなら
不安はまるでお金だ」ということ。
*
ふと「不思議の国のアリス」に、
こんな描写があるのを思い出した。
「そこでアリスはヒナギクで首かざりを
作る楽しさと、そのためにわざわざ
立ち上がってヒナギクをつむやっかいさと、
どっちが大きいかしらと
考えはじめました。」
ぼくの質から考えると、
間違いなく「立ち上がってヒナギクをつむ
やっかいさ」が大きい。
日々、できれば楽をしたい。
ビアトリクス・ポターが住んでいたという
湖水地方のようなところで、
老後のような暮らしをしていたいと思う。
でもそれは現実にはあり得ない。
現実では、楽しさに至るにも
やっかいなことがある。
その、やっかいなことに
立ち向かうだけの、原動力がほしい、
と常々思う。
そういうときに、
「不安はまるでお金だ」を思い出す。
*
原動力を買うために、
不安を得ればいいのだ。
では不安はどうやって作ればいいの?
漠然とした、とりとめのない不安では
あまり効果はないようだから、
もっと実のある不安ではないとだめ。
ひとつ考えたのは、
「あえて昼寝」あるいは「遠足寝」である。
「遠足寝」というのは、明日は遠足だから
早く寝るんですよ、という風に思い込んで、
早々に布団に入ること。
これで何が起きるかというと、
「持ち時間」が減るのである。
具体的にあと何時間後に〆切りがある、
というように追い込むことができる。
目覚めたとき、ぞっとして、
とても頑張れる。
*
実はこれはうまくない。
なぜなら、持ち時間を犠牲にするという
確実なリスクがあるから。
できれば何も失いたくはない。
そこでもうひとつ考えたのは、
人と会うこと。それで、
その人のことを思い出しながら、
行動することがいいのではと思う。
周りには、仰ぎ見るような人が
たくさんいるから、
自分ももっと水準を上げなければ、
と、質のよい不安がこみ上げるんじゃ
ないだろうか、と思う。
みんなどうやって
いい不安を作っているんだろう。
2014/10/31