パワースポットの本質
神社にいくと、
どこでもたいてい常連っていう
雰囲気の人たちがいます。
ぼくなんかは、
右の方をみて、左の方をみて、
うろうろしているのですが、
常連の方は参道をスーッとまっすぐ歩き
拝殿で深々とお辞儀をして、帰っていく。
どうという表情でもないのですが、
なんとなく澄んだ雰囲気があります。
*
しろうと的な考えといいますか、
にわかに「神社がパワースポットだ」という
ぼくなんかは、
わー、なんか神社からパワーが
出てきているんだ!
という感じだったりするのですが、
常連さんにしてみたら、
神社が持っているパワーを
おすそ分けしてもらっているという感じ
でもないんだろうなと思うんです。
お参りをするという習慣それ自体が、
ここちよい気分をもたらしてくれる
ということなんだと思います。
ホっと安心する、
なんか居心地がいい、
背筋の伸びる気持ちに整う、
元気になる、
といったような心もちに
なっているんじゃないかな。
*
要するに、
これさえあれば大丈夫、
という気分になれる。
大丈夫、と腹の底から思えていたら、
自然とパワーが湧いてくる。
そのパワーがどこから湧いてくるか、
というと、神社からではなくて、
自分の「はらわた」から、なんですよね。
*
なので、
「こうしていると気分がいい」とか、
「わくわくしてきた」とか、
「好きなんだよな~」と
胸ときめくことを習慣にしている人は、
そこが神社じゃなくても、
パワースポットなんだと思うんです。
ぼくの場合は、似顔絵を毎日描くこと。
毎朝のラジオ体操、この作文を書くこと、
夕方の筋トレ、散歩、
図書館で好きな本をかたっぱしから
借りまくってひたる、
お風呂で進撃の巨人をみる。
こないだ、ちょっと忙しくしてしまって
数日間これらをできずにいたら、
なんかぐったりしてしまって。
元気もわくわくもしないで、
仕事を進めると、全然ぱっとしない。
気分が乗らないと、楽しくならない。
パッとせず、楽しくない状態で
ものを描いたり作ったりして、
はたして、イメージする快さが
人に伝わるのだろうか?
夕飯の料理をするとき、
進撃の巨人を流しながら
「ささーげよーささーげよー
しーんぞうをささーげよー」と
口ずさんだり、
川沿いの公園で、本をながめたり、
仕事には無関係に思えることが
じつは神社でお参りすることと
同義だと思うんですよね。
好きなことでお金を頂く以上、
自分がちゃんと自分をわくわくさせている、
という状態に作るのは、必須条件です。
いま、この瞬間が楽しい、
という状況を保つために、無駄な忙しさを
できるだけなくしていきたい。
*
ぼくは学校の科目には、
「確定申告」を加えることを所望したいのですが
もうひとつ「心地よい」という授業も設けたい。
まず先生として枕草子をおすすめしたい。
それは次回。
2021/06/13