ぼくがおりますので。
ときどき更新している作文だけど、
毎日更新するべきだ、と
よく人から言われる。
そうかあ、と思っていると、
その人はさらに、
せっかくならアフェリエイトつければいい、
と勧めてくる。
設置しないなんて、もったいない。
というから、
がーん!時代に取り残された…!
と思って家に帰って、検索。
すると、アフェリエイトというのは、
簡単に言えば、お金稼ぎの方法で、
そのために読者を呼び込まなくてはならず、
さらに、そのために、
読者が興味をもちそうな、
価値のある記事を毎日書くべし!
と、結論付けられている。
要するに、記事は情報商材としてあれ。
ということか。
ふむふむ、この条件に照らし合わせると、
ぼくの書く作文って、
まるで価値のないものなのだな、と
改めて実感する。
自分がわくわくしたり、書きたいなと
思っていたことしか書いていないので、
「自分の好きなことを書くなかれ、
他人の興味を書け」
という文面を見つけた時は、
さすがにどきっとした。
*
そんなときは、「ドラえもーん」と
いう言い方で
「荒川さーん」と助けを求める。
荒川さんとは、詩人でエッセイストの
荒川洋二のこと。
ぼくの中での殿堂入りエッセイ集
「夜のある町で」(みすず書房)
の「おかのうえの波」というエッセイの
一節が思い浮かんだ。
文章を書くとは、以下の3つの要件を
満たすこと、と荒川さんは言う。
1、知識は書かないこと
2、情報は書かないこと
3、何も書かないこと
*
予想以上の内容にびっくり。
だって、知識も情報も書かなければ、
ひとまず、アフェリエイト的には、
価値がほとんどないことになる。
なにしろ、そのページを見にいく
必要性や、理由や、動機に
ひっかからないから。検索として。
しかも、何も書かないって、
どういうこと?と思う。
*
知識とは、過去の自分だ。という。
そういうものにとらわれると、
自分を忘れて、ときどき知ったかぶりを
してしまう、という。
今の自分の考え、思いを大事にしたい。と。
情報とは、最も価値になりやすいが、
その中に、書き手である自分が、
いないことが多い。
という。たしかにな、と思う。
何も書かない、というのは、
自分がもてるものはできるだけ
もたないで、
その上で、何を書くんだろう。
ということなんだって。
*
荒川さんは、
アフェリエイトサイトで集客を
しようということとは、
まったく別の目的地にいこうと
しているので、
つまりぼく自身も、集客しよう、と
思っているわけではない以上、
荒川洋二の歩いている方へ
ついて行きたくなる。
この作文になにがあるかというと、
知識も情報も(必要とあらば載せるけど)
なにも書いてなくて、
ここに、ぼくがおります。
ということなんですね。
2019/06/03