はぐれたら
言葉は意味であって、
時々はなくてはならない
必要なものになるけど、
時にまったく無意味なものにもなる。
その違いってなんだろう。
意味にならなければ、
言葉はなんの役にも立たない。
*
しゃべる言葉でいえば、
誰が言ったか、誰に言ったか、
文字でいえば、
どこに書いてあるか、
がとても重要である。
そこからはぐれたら、効力を発揮しない。
なにが書いてあるかは、実は
意味を持つためのポテンシャルに
すぎない。
たとえばね、
「20km」と書いた紙が
あしもとにぺらっと落ちていても、
効力を発揮しない。
つまり、迷子になった標識には
意味がない。
でも、それを工事現場で交通整理する
おじさんが持って、
行き交うトラックに見せることにより
初めて効力が備わる。
ほかにも、
大きな幹線道路が交わる場所にある
この通りは「〇〇街道」で
あちらが「◇◇街道」という
矢印になっている看板も、
ルーレットみたいに
ぐるぐる回転させちゃったりしたら、
これまた意味がおかしくなっちゃう。
街にある言葉や記号は、
たいてい空間的配置に意味が
由来していることが多い。
そこからはぐれてしまうと、
言葉は魔法を失ってしまった
魔女の宅急便のジジみたいに
しゃべる黒猫じゃなくて、
ただの野良猫同然になってしまう。
これは3Dレトリック的であるなと思う。
次回の言葉の実験室はこれをテーマに
実写マンガを作ろうと思っています。
*
あるわけないんだけど、もしも、
だれかのページからはぐれて
ネットの海を漂流した言葉の断片が、
あるいは文字の一文字ずつが
砂浜にあがるように、たまに
ぼくのブラウザに打ち上げられたとしても
それは、ほんとに海辺に落ちている
砂と同じくらいの意味のなさ。
それがたまたま、
「す き よ」になっていたり
「こ ろ す」とかになっていると、
非常にドキッとする。
でもそれが、ぼくに宛てられたもの
ではないとわかると、
やはり砂粒同様ゴミ箱にさっさと
捨てられるものになる。
2017/04/03