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はぐれたら

言葉は意味であって、
時々はなくてはならない
必要なものになるけど、
時にまったく無意味なものにもなる。
 
その違いってなんだろう。
意味にならなければ、
言葉はなんの役にも立たない。
 

 
しゃべる言葉でいえば、
誰が言ったか、誰に言ったか、
文字でいえば、
どこに書いてあるか、
がとても重要である。
 
そこからはぐれたら、効力を発揮しない。
なにが書いてあるかは、実は
意味を持つためのポテンシャルに
すぎない。
 
たとえばね、
「20km」と書いた紙が
あしもとにぺらっと落ちていても、
効力を発揮しない。
つまり、迷子になった標識には
意味がない。
 
でも、それを工事現場で交通整理する
おじさんが持って、
行き交うトラックに見せることにより
初めて効力が備わる。
 
ほかにも、
大きな幹線道路が交わる場所にある
この通りは「〇〇街道」で
あちらが「◇◇街道」という
矢印になっている看板も、
ルーレットみたいに
ぐるぐる回転させちゃったりしたら、
これまた意味がおかしくなっちゃう。
 
街にある言葉や記号は、
たいてい空間的配置に意味が
由来していることが多い。
 
そこからはぐれてしまうと、
言葉は魔法を失ってしまった
魔女の宅急便のジジみたいに
しゃべる黒猫じゃなくて、
ただの野良猫同然になってしまう。
 
これは3Dレトリック的であるなと思う。
 
次回の言葉の実験室はこれをテーマに
実写マンガを作ろうと思っています。
 

 
あるわけないんだけど、もしも、
だれかのページからはぐれて
ネットの海を漂流した言葉の断片が、
あるいは文字の一文字ずつが
砂浜にあがるように、たまに
ぼくのブラウザに打ち上げられたとしても
それは、ほんとに海辺に落ちている
砂と同じくらいの意味のなさ。
 
それがたまたま、
「す き よ」になっていたり
「こ ろ す」とかになっていると、
非常にドキッとする。
 
でもそれが、ぼくに宛てられたもの
ではないとわかると、
やはり砂粒同様ゴミ箱にさっさと
捨てられるものになる。

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