なぜ今?への準備
ラジオで「なぜ今それを」と、
質問しているインタビューを聞いた。
しっかり聞いたわけではなかったので
不確かだけれど、質問されたのは
たぶん映画監督の森達也だったと思う。
質問したのはパーソナリティの人。
時間的に別所哲也だったかな。
映画監督はこのたび「311」という映画を
発表したそうである。
一年半以上過ぎた今、なぜそれを
作られたのですか、
という質問であった。
…
ぼくの曖昧な記憶はここまで。
どういう回答だったかは、
まるで覚えていません。
ただ、そのときに、
不思議な気持ちになりました。
ふたつの反する思いが混ざりあって
寄せてきた。
「なぜ今」ってよく耳にする質問だけど
聞いていてうんざりするなあ、
なんでもかんでもそう簡単に
説明出来るものだと思うなよな、と思った。
それと同時に、でもやっぱり聞きたい、と
思っていた。
見る側っていうのは
基本的に考えることに関しては
うといので「実物」だけでは物足りなさを
感じてしまうのか。
サービスの充実が標準装備となって
しまっている今だからこそ、
ちゃんと納得出来る「コンセプト」を
説明してもらわないと不満になるのか。
自分もその「見る側の一人」としての
恩恵を浴びている人間なので、
やっぱり「なぜ今」が聞きたくなる。
といいながらも見る側にだって
しっかりと考えて想像することが
求められるのではないか、と感じた。
無闇に質問する前に自分で考えてみる
という聞く側の姿勢が大事なのか。
*
同じくして、作る方にしても
ちゃんと答えられるように
しっかり頭の中を整理しておくという姿勢が
必須の義務であるようにも感じられた。
人に話して説明できるようにするため、
というよりも自分自身のために。
他の人からそういう質問をされて初めて
自分の愚かさに気がつくのでは遅い。
ぼくの場合はそういうことだらけ。
神妙な顔で
「これはどういった理由で作ったのか」
と問われると、困ってしまい
全然大した理由などないのだと、
(なんというか、惰性で?みたいな、)
そのことに気がついて、落ち込むことが多い。
そういうバカバカしさには、
自分で気がついていたい。
2012/10/19