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なぜ今?への準備

ラジオで「なぜ今それを」と、
質問しているインタビューを聞いた。
 
しっかり聞いたわけではなかったので
不確かだけれど、質問されたのは
たぶん映画監督の森達也だったと思う。
 
質問したのはパーソナリティの人。
時間的に別所哲也だったかな。
 
映画監督はこのたび「311」という映画を
発表したそうである。
 
一年半以上過ぎた今、なぜそれを
作られたのですか、
という質問であった。
 

 
ぼくの曖昧な記憶はここまで。
どういう回答だったかは、
まるで覚えていません。
 
ただ、そのときに、
不思議な気持ちになりました。
ふたつの反する思いが混ざりあって
寄せてきた。
 
「なぜ今」ってよく耳にする質問だけど
聞いていてうんざりするなあ、
なんでもかんでもそう簡単に
説明出来るものだと思うなよな、と思った。
 
それと同時に、でもやっぱり聞きたい、と
思っていた。
 
見る側っていうのは
基本的に考えることに関しては
うといので「実物」だけでは物足りなさを
感じてしまうのか。
サービスの充実が標準装備となって
しまっている今だからこそ、
ちゃんと納得出来る「コンセプト」を
説明してもらわないと不満になるのか。
 
自分もその「見る側の一人」としての
恩恵を浴びている人間なので、
やっぱり「なぜ今」が聞きたくなる。
 
といいながらも見る側にだって
しっかりと考えて想像することが
求められるのではないか、と感じた。
 
無闇に質問する前に自分で考えてみる
という聞く側の姿勢が大事なのか。
 

 
同じくして、作る方にしても
ちゃんと答えられるように
しっかり頭の中を整理しておくという姿勢が
必須の義務であるようにも感じられた。
 
人に話して説明できるようにするため、
というよりも自分自身のために。
 
他の人からそういう質問をされて初めて
自分の愚かさに気がつくのでは遅い。
 
ぼくの場合はそういうことだらけ。
神妙な顔で
「これはどういった理由で作ったのか」
と問われると、困ってしまい
全然大した理由などないのだと、
(なんというか、惰性で?みたいな、)
そのことに気がついて、落ち込むことが多い。
 
そういうバカバカしさには、
自分で気がついていたい。
 

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