とりとめもなく怖い話
怖い話が好きである。
怖い話は、日々がどうしても単調なときの
刺激剤となってくれる。
それから、しーんとした雰囲気が、
椅子に長時間座っていられる
集中力を与えてくれる。
*
ところで、
聞いているとある法則に気が付く。
落語なんかで聞く昔の怖い話は、因果応報。
自ら殺めた人が化けて出てくるという話。
これが多いように思う。
化けて出る、という理由と意思がとても
わかりやすい故に、恐ろしいのである。
しかし現代の怖い話とは、
通りすがり系、巻き込まれ系が多い。
本来自分はなにも関係がないのに、
たまたま「見えちゃったばっかりに」
とか、
そういうスポットに
「来てしまったばっかりに」
「引っ越してきたばっかりに」
というタイプが主である。
つまり、なんの罪のない自分だって、
怖い話の当事者となれてしまう仕組み。
人を殺してしまうという、
明らかな恨みを買ってしまった人、
だけではなく、
なんと、たまたま通りがかっただけで、
とりつかれてしまう。なんてこった。
幽霊もボケてきている。
なんの関係もないものを呪って、
果たして幽霊自身、救われるのだろうか。
勘違いも甚だしい。
呪いは無差別の時代である。
もともと、幽霊という存在は、
死んでもなお、あんたを恨む、という
幽霊たる存在理由が明確だった。
まさに「うらめしや」だからである。
ターゲットがあればこそ、成立する。
でも、現代の話は、一人暮らしの人だったら誰でも、
旅行に行ったホテルで、夜の帰り道で、
恋人とのデートで、さまざまな状況に
幽霊は誰彼構わず呪いをかけてくる。
怖さの大放出祭である。
*
ここまで書いて、ふと思ったけど、
その点、伊集院光のする怖い話って
よくわかる。
それが本当かどうか、が問題ではなく、
お話としてよくわかる。
他の人の話だと、基本的に幽霊は無差別に
なにかしらの害意をもっている。
とりついて、自殺させようとしたり、
呪いという魔法で殺そうとしたり
いわばテロリスト的に勃発する。
こういう話はなんとなく、上品ではないし、
幽霊に「お門違いだろ」と突っ込みたくなる。
全部を思い出しているわけではないけど、
ただ、伊集院光の話は、そこんとこがない。
幽霊がそこに留まっているだけ。
存在自体が怖い。
真夜中の証明写真の自販機前にあらわれる
女の霊とか。
「あたしきれいになったでしょ」
というだけだし。
引越し先の家に図面にはあるけど、
実際壁になっているところがあって、
そこをべりべり剥がすと、
壁一面に青いクレヨンで「おとうさんだして」
「おとうさんだして」とびっしり書かれていた。
とか。
普通に家に住んでいる人かと思ったら、
じつは他の人には見えていない人だったとか。
ただ、いる、というだけでぞっとする。
こういう方が、話としてしっくりくる。
だが、
最もおもしろいのは、実際に周りの人に
怖い体験したことあるかと聞いてきく話。
いわば素人の話。これが一番怖くて面白い。
よくできた話ほど作り話であることが多い。
稲川淳二みたいにこわい演出が巧みなほど、
そういうものとして聞くが、
そうでない、おれ何年か前にこんなことあってさ、
というのを自然に聞くほうが刺激は強い。
2016/05/12