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たのしいことばあそび-2

前回のつづき。
理屈をぬきにして楽しめる「ことばあそび」って
なんだろう。
 
大人になってから感じるおもしろさってのは、
どうもあやしい気がするので、
自分が年少だった頃に面白がったものを
ひっぱりだして、
自分の心を改めるきっかけにしたいと、のぞむ。
 
今回は詩のなかのことばあそび。
以下。
 

 
らっぱ  木島始
 
しんぱい
いらない
らっぱ
ふきたい
 
いっさい
がっさい
らっぱ
ふきたい
 
りっぱ らっぱ
るっぱっぱ
りりっぱ ららっぱ
るっぱっぱ
 
ふんすい
おっぱい
いっぱい
のみたい
 

 
これを音読して読んでみよう。
なぜこれがおもしろいか、人それぞれ
なのかもしれない。
けれど、ぼくはこの一編を活性化させて
いるものは、たった一語にある、
と思っている。
 
「おっぱい」だ。
 
恥ずかしがらずに、言えるだろうか。
笑わずに言えるだろうか。
たとえば、授業中に音読を指名されて、
困ったように、もじもじ席を立った
男の子をみるクラスメイトたち、
という状況もふくめてこの詩は楽しめる。
 
前置きの「らっぱ/ふきたい…」なんて
「おっぱい」が、正当な理由でそこに
あるための理由付けでしかない。
いやむしろ、そこがこの詩のすごい
ところなんだけど。
 

 
谷川俊太郎
 
いもくって ぶ
くりくって ぼ
すかして へ
ごめんよ ば
 
おふろで ぽ
こっそり す
あわてて ぷ
ふたりで ぴよ
 

 
どうして、こんなにおならが
好きなんだろう。
それでいて、おならって、なぜ
こんなに表現豊かなんだ、と思う。
 
「ふたりで ぴよ」なんて
ぜったいおかしい。
さっきまで「ぶ」とか「ば」とか
かましていたくせに、
ふたりで ぴよ、なんて、
かわいくて笑っちゃう。
 
「いもくって ぶ」
といえば、だれが見たって
おならのことだ。
 
だから、それ以降は、
もうフリースタイルでかまわない。
どんなものがきても
おならのことだからね、という
ルールみたいなものが分かる。
 
だからこその「ぴよ」が
おなら界においての新生児的発見であり、
へんてこで、おもしろい。
 
どうして「ぴよ」がいいのか。
「べろ」や「ぱお」じゃだめだったのか。
そのあたりの語選は、完全に理屈では
ないという気がする。
天から降って来た、というような。
 
次回は(もし次回があれば)
「うまいこと言う」が、
うまいこといった時のことばあそび。
 

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