たいようくん草案
かつて、光のメッセージカードの文案を
練っているとき、
できるだけ「クサい」フレーズには
注意を払おうと心がけていた。
ことばあそびにはナンセンスを面白味として
いるものもあるけれど、
整合性がある、意味として成り立つ、
理屈が通っている、ということが
存在力を持つ要因であったりもする。
わかりやすい例えとしては、なぞかけとか。
メッセージカードの文案も、
透かす前と後とで、意味をつなげる。
そうか、なるほどね。とすると、
感情にただ身を任せているわけじゃないんだよ、
ほら、ちゃんと理屈をとおしているでしょう、
というアピールとなって、「クサさ」を和らげてくれる。
*
というわけで、ぼくにとって、ことばあそびは
なにかを作ろうとするときの正当な
理由になってくれる、ありがたい方法となる
わけである。
物語なんかも、ちゃんと考えようと思うと
恥ずかしいような気がしてならない。
けれど、ことばあそび的な性質を使えば
その手段として物語を考えることも
してみようか、とは思える。
*
前置きが長くなりすぎたけど、
たとえばこんなのを考えている。
「たいようくん」
たいようといえば、
みんなから愛されるはずのもの。
だけど、このたいようくんは
なまいきで、つよがりで、みえっぱり、
そして、なんといっても、わがまま。
まだ朝なのに、「あっちにいきたいよう」
といって、すぐ夜になったり、
「おもちゃ買いたいよう」「星をみたいよう」
「海からでたいよう」。
たいようくんのわがままで、住んでる人々は
みんなこまって、迷惑がって、ついに
たいようくんを嫌うようになった。
さすがのたいようくんも、これにはまいって、
山の間にかくれて、ひとりで泣いていた。
「くしゅん、くしゅん、なきたいよう」
かなしくて、光もきえて、いまや
たんなる丸い石ころ。
だから周りはずっと夜。
そこに小さな女の子が座っていて、
女の子も泣いていた。
たいようくんは、こんなときでも
みえっぱりだから(ほんとしょうがない子)
小さな子にはつよがってこういう、
「ご、ごほん、あー、きみ、
きみも、なきたいよう…だね。」
「うん、ここ最近、夜ばっかりで、
野菜が育たなくて、病気のおかあちゃんに
たべさせてあげられないんだ」
たいようくん、いいところを見せたくて、
心の中でこう思った。
「うん、そうか、
その話を聞いて、ぼく、助けたくなったぞ。
野菜そだててあげたいよう!」
ぴかーとひかると、朝になった。
陽をあびて野菜畑はぐーんと成長した。
女の子にすてきといわれて、
たいようくん鼻高々。
それ以降、いろんな人を助けるのが
すきになった。
という話。
2016/10/24