ことばとからだの実感
体がどうしてもダルいときがある。
寝っころがっていると、
快感をうながす神経がしゅわしゅわ
はじけて、とろけそうになる。
このまま脳だけで過ごしたい、
と思うようになる。
体はなくなって、
脳だけが自由自在/全自動の乗り物に
乗っていて、いつでも、脳が冴えている。
そんなありえない状況を想像する。
–このままではいけないと思う。
*
矛盾のように思えるが、
ダルさは体を動かすことで
解消できるらしい。
脳の本を読めば、頭も
体を動かすことで冴え始めるらしい。
結局、運動をしないことには
どうしようもないと思って、
早朝に散歩をはじめた。
*
朝早い外気は、なんとなく世間と
切り離された場所のようで、
歩いていると心地よい。
木や土の匂い、肌寒さ、変な緊張感がある。
ちいさな羽虫が指のうえで、細かな足を
もぞもぞ動かしているさまも、おもしろい。
思えば、ぼくの関心は「人」を
中心にしていたような気がする。
誰かとの約束で、誰かを気にして、
誰かを思い出して、考えて…などなど。
人を思い出すキッカケばかりが
身近にあるからだと思う。
だから、人ではないものごとに関心が
湧いてくると、うれしくなる。
普段の反作用のためかもしれない。
科学の話(ことば)の
おもしろいところは、
実際に目で見ている景色以上の感覚
(空気による想像以上の重さの均衡や、
気圧による風のうごき、
地球の自転/公転のスピードなど)
が本当にあるんだな、という実感を
感じさせてくれる。
想像すると、立っている足元が
一瞬だけくらっとする気になる。
いわば精神的な視野が広がる、
といったところ。
朝、歩いて林に分け入っていくのが、
とても興味を深いものになっていく。
2015/06/06