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お別れをするとき…

靴下や下着は、愛用しているものから
古くなっていく。

かかとに穴があいたり、
下着のゴムがゆるゆるになったり。

ぼくは、それでもあまり
気にしない方なんだけど、
足裏の親指のつけ根(母指球)の
あたりが破けて、そこだけ
フローリングの冷たさを直で感じたり

手を放すと、はいていたパンツが
するするっと床に落ちたりすると、
さすがにこれはいかんと思って
新しいのを買う。

そこで問題なのが、
古い方をどうしようか、ということ。

捨てる?
どこに?

住んでいる地区によって違うらしいけど
リサイクルとして回収していれば
古着回収の日にまとめて出せばよくて、

リサイクル不可の地域では、
燃えるゴミにまとめるらしい。

ウチの地域は燃えるゴミ…。

古くなったとはいえ、靴下を
ティッシュや、生ごみを入れてる
ゴミ箱に一緒にするのに抵抗がある。

今まで愛用していればこそ。
半分自分の体の一部みたいなものを、
すこし臭い、ちょっと湿ったゴミと一緒に
蓋をして置き去りにするのが忍びない。

せめてもの…
という気持ちを込めて、
手を合わせる。

今まで本当にありがとうございました。

と、お祈りをする。
これは感謝もあるが、それよりも
ゴミ箱に衣類を入れる抵抗感を
和らげるためのおまじない
と、いってもいいかもしれない。

そうすることで、
自分自身の気持ちに整理をつけたい、
という。

いったん話は変わるが、
こないだ岡山に行ったとき、
空いた時間に大型書店に寄り道をして
ことばのしっぽ」(中央公論新社)
という本をみつけた。

読売新聞でいまでも連載している
こどもの詩」の50周年を記念して
出版された本。

3歳から中学くらいの子が書いた
(もしくは発言した)投稿を
「詩」として選者がえらび集めたもの。

「書かれたもの」は
おそらく詩という前提で書かれているので
おおよそ養殖っていう感じ。

対して、
「発言を書き留めたもの」は、
素直で、天然ものという感じ。

後者の方がぼくは好き。

その中から、一つ引用。

「おわかれしき」

タッタッタ

くつしたさん にゅうじょう
これからくつしたさんの
おわかれしきをはじめます
くつしたさんは あながあくまで
がんばってくれました
ありがとうございました

小学1年生の女の子。
親がどこまで形を整えたのか、
分からないけど、
多分、じっさいにこのお別れ式を
やっていたんじゃないか。

と思う。

この子は、「おわかれしき」をしたあと、
くつしたさんを、どこに
捨てたのだろう?

ゴミ箱?
リサイクル?
お母さんに捨ててもらった?

どんな気持ちだったんだろう?
明るい調子のように見えるけど、
やっぱり寂しいとか、申し訳ないみたいな
気持ちはあったんだろうか?

そこを勝手に、きっとこうだった、
と決めつけるのも軽薄だけど、
分かるなあと、ぼくは思った。

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